先日は高校の同級生が、3時間近く運転して訪ねてきてくれました。
三十数年ぶりの再会。当日の朝、大雨だったので運転が心配になり、「またの機会にする?」と連絡すると、「いま会わなきゃ、つぎはいつになるかわからないから、ぜったい会いに行く」と決行。
そして、再会したことで、彼女が校長を務める学校を見学することになったり、私の関わる音楽イベントに参加してくれることになったり…と、いくつかの新たな展開がありました。
人と人が出会って起こる化学反応は、計り知れないから面白いのです。
もらうほうもあげるほうも
気楽に贈れる「お福分け」
昨今はとなりに住む人の顔も知らず、だれとも関わらなくても生活していける時代。職場でも、最小限の仕事の会話だけしていれば、ことは済むでしょう。
しかし、必要な会話しかしないというのは味気ない。だれにも関心をもたないことは、だれからも興味をもたれず、心がパサパサに乾いていく感覚があるのです。
だからといって、人の世話を焼いたり、人間関係に時間をとられたりするのは勘弁してほしい……という人におすすめしたいのは、“お福分け”という文化です。
“お福分け”とは、やっていることは“お裾分け”と同じ。着物の裾のように「いちばん下の大したものじゃないですけど、召し上がってね」という謙虚なお裾分けに対して、お福分けは「私のところに素敵な福がやってきたから、あなたにもお分けします!」と、一緒に喜びをシェアしたいというポジティブさがあります。
また、“お福分け”はわざわざプレゼントを準備するのではなく、「あなたもどうぞ」というついでの流れなので、互いに気がラク。しかも、知らず知らずのうちに“賄賂”として機能しているのです。
「みかんを買いすぎちゃいました。少しいりませんか?」「田舎からお菓子が送られてきたから食べて」「採りたての野菜をたくさんいただいたの。もらってくれる?」など、モノと一緒に、キモチも贈っている。
好意や親しみを伝えていて、感謝も見返りも期待していなくても、いつかどこからか福が返ってくるもの。「まず自分から」を実践している人は、福に恵まれているはずです。
私は会う口実として、お福分けをよく利用します。それほど親しくないご近所や同僚などにも差し上げると、心の距離が一気に縮まります。







