敷衍すれば、明治の日本が西洋の文明を受け入れ、鉱山や工場、造船所、鉄道に郵便、学校制度などをつくり、ひろげている根底に、こうした柔術の精神がある。
近代化に成功しているのは、西洋の力に屈するのではなく、古くからの倫理や道徳を保ちつつ、文明を移入していかしているのにすぎない。そう実感したのです。
熊本で見たのは
近代化の光と影だった
漢学者の秋月悌次郎(1824~1900)との出会いも大きかったようですね。
元会津藩士で、江戸の昌平黌に学んだ俊才でした。藩主の松平容保が京都守護職に就いたのに従って、公武合体策を進め、戊辰戦争で新政府軍と戦って禁固処分をうけます。その後、特赦され、東京大学予備門で教えます。のちに熊本で八雲と同僚になり、学生たちにたいそう慕われたそうです。
敗北した会津藩の中枢にいて明治維新の激流にのみ込まれながら、不屈の精神で乗り越えてきた人物に、八雲は絶大な信頼を寄せました。
言葉は通じませんでしたが、「近づくだけで暖かくなる暖炉のような人」と書いています。
『セツと八雲』(小泉 凡・著、聞き手・木元健二、朝日新聞出版)
少年時代、アイルランドで宿した精神と響き合ったのでしょう。かの地にもイングランドと対峙して、敗北し続けた歴史がありました。
この時期のものでは「夏の日の夢」(『東の国から』所収)という紀行文が出色です。セツが八雲の最も好きな物語、とした浦島太郎をモチーフにして、連想を繰り広げています。
長崎への取材旅行の帰りに立ち寄った熊本・三角西港の旅館「浦島屋」での交流や、有明海や雨乞い太鼓をよく描いています。やはり歴史が感じられる自然の中が最も居心地のいい、とする感覚ですね。
言ってみれば「神々の国の首都」松江では、何もかもが新鮮に見えていたのでしょう。この時期、軍都として勢いを増していく熊本で暮らしたおかげで、「明治の日本」という近代国家の現状が、少し冷静に見えるようになった面があります。







