「取材」をしているので特定の分野には詳しいが、別に当事者として関わっているわけではなく、あくまで「傍観者」に過ぎない。苦労して何かを売ったとか、何かを生み出したという経験も少ない。そのため頭でっかちで、思い込みが激しい人も多いのだ。

 もちろん、そうではない人もたくさんいるが、取材ばかりして「知識」ばかりが膨らんでしまうことで、おかしな万能感に取り憑かれてしまう人も少なくない。その代表が、「我々は特別な存在である」という痛々しい勘違いをする人たちである。それを身をもって味わったことがある。

 もう20年以上前の話だが、新聞社に入ったとき、それまで働いていた週刊誌や月刊誌と比べてかなり高待遇だった。今はそんなことはないが、当時は海外メディアに比べても「高給取り」だった。

 海外では記者はそこまで高待遇ではないし、ある程度キャリアを積むと専門分野を生かしてフリーになるのが一般的だ。それに対して、日本の新聞記者がそんなに給料が高いと「社畜化」が進んで、「報道の自由」も低下するのではないか。そんな疑問を口にした私に、ある先輩記者はこんなことをおっしゃった。

「僕はちっとも給料が高いとは思わないよ。だって、我々は政治家や官僚と対等の立場で話をしなくちゃいけないでしょ。そういうとき、給料が少ない記者は簡単に買収をされてしまう。権力を監視するには、権力と同じくらいにならないと」

「なるほど…」と頷くふりをしたが内心では、反吐(へど)が出そうだった。

 自分がこれまでやってきた週刊誌の記者などへの「どうせ買収されているんでしょ」という蔑(さげす)み感に多少イラッときた。だが、それよりも筆者が気持ち悪く感じたのは、自分たちのことを「権力と肩を並べる存在」だと、なんのてらいもなく言ってのけたことだった。