日露戦争開戦に迷う元老の山縣有朋を、外務省の依頼で口説き落としたのは朝日新聞の「近代的エディターとしての主筆」の先駆けといわれる池辺三山。「開戦」という国家の決断に関わって、自らが「日露開戦」のスクープを打つ。マッチポンプの極みだが、これこそが「近代ジャーナリズム」である、と「朝日新聞」も『歴史の瞬間とジャーナリストたち』(朝日新聞社刊)という本の中で、胸を張っている。

 つまり、日本のジャーナリズムというのは、「権力の監視」なんてのは、あくまで国民の目を誤魔化すための建前に過ぎない。実際は自らも「政治プレイヤー」として特定の権力者のために動き、時には世論誘導も辞さないものなのだ。

 ということは、これからも「高市サゲ」はガンガン続くということだが、いい加減そろそろこの「悪習」を見直すべきだ。執拗な「安倍サゲ」を何年も続けたことが「デマを真に受けたテロ」に繋がり、安倍元首相の命を奪ったからだ。

 またとんでもないヘイトクライムを引き起こす前に、「我々は世の中を変える特別な存在だ」などというイタい思い込みは、さっさと捨てていただきたい。