当初は阪神への反発はあったが
最近は旧南海びいきも弱体化

 だが、それでも11月3日に御堂筋と神戸市中を凱旋している。2005年にも、阪神はセ・リーグのペナントを勝ちとった。そして、2年前と同じ行進を御堂筋で披露する。

 旧南海ファンは、自分たちの聖地がけがされたように、この事態をうけとめた。南海に起源のあるイベントを、阪神がうばったと感じたようである。だから、ついついこんな口吻をもらすようになっていく。

 なんや、たかがセ・リーグで勝ったぐらいで。日本シリーズには負けとるやないか。巨人をうちまかした南海ホークスには、とうていおよばんやろ。そのていどの戦績で御堂筋パレードやなんて、おかしいわ。阪神は、なんかかんちがいをしとるんやないか……。

 旧南海ファンのそういう口振りを、私はじかに聞いている。2005年までは、まちがいなくそんな反発があった。だが、2023年にはこれが聞こえてこない。少なくとも、私の耳にはとどかなかった。

 日本シリーズでも勝ったから、大目に見られたのか。オリックスとの共催で、パ・リーグにも花をもたせた点が、買われたのかもしれない。もちろん、旧南海のひいき筋が弱体化している可能性もある。あるいは、私の耳が遠くなり、彼らの声を聞きもらしているせいか。いろいろ、考えあぐねているところである。

 1959年の日本シリーズで、南海は読売を打倒した。それをことほぎ、御堂筋での凱旋行進にのりだしている。そして、南海にとって、それは唯一無二のイベントとなった。その後も日本一になりはしたが、同じことをやろうとしていない。

 いったい、なぜか。1959年の日本シリーズは、南海にとって、どのような意味をもっていたのだろう。

 南海の球団史は、くだんの凱旋行進をこう位置づけていた。「夢にまで見た“御堂筋パレード”」うんぬん、と。じつは、当時の監督であった鶴岡の自伝も、同じことを書いている。「いつかは御堂筋のパレードをやろうと誓っていた」、と(鶴岡一人『御堂筋の凱歌──栄光と血涙のプロ野球史』1983年)。