当時大平は外相で、首相は宏池会の先輩である池田勇人だった。文書の冒頭にこうある。
「4月3日(水)大平外務大臣がライシャワー米大使と会食された際に、同大使より、最近の国会における核持ち込みに関連し、事前協議に関する不公表文書において『合衆国軍隊の装備における重要な変更とは、核兵器の日本への持ち込み(introduction)を意味する』とされているところ、核兵器を搭載した艦船・航空機が一時的に立ち寄ることは日本への核持ち込みにあたらないのではないかとの意向が表明された」
米国の駐日大使ライシャワーが言及した「最近の国会における核持ち込み」とは、この問題での池田や大平の国会答弁を指すとみられる。
1963年3月6日の参院予算委員会で、共産党の野坂参三の質問に対し、大平は艦船による核兵器「持ち込み」は事前協議の対象になるが、米国に持ち込む意図はないので事前協議の申し出がないと述べた。
池田も「核弾頭を持った船は、日本に寄港はしてもらわない」と答弁していた。そこでライシャワーは大平に、そもそも事前協議の対象ではないと伝えたのだ。
認識のズレが生まれた
大平ライシャワー会談
この会談について、米政府内の報告書も見ておく。ライシャワーが国務長官ラスクに宛てた1963年4月4日付の公電が後に開示され、情報公開に取り組む米国のNPO「国家安全保障公文書館(NSA)」のサイトで公開されている。
英文の公電(訳は筆者)によると、ライシャワーはこの日、「人目を避けるため」大使館での朝食会で大平外相と面会。
「秘密の『討議の記録』に関し、米国の解釈の線で大平と完全な相互理解に達した。我々の解釈と秘密記録の存在は大平にとって明らかにニュースだった」「大平の反応は素晴らしかった。彼は、彼とおそらく池田首相は米国“INTRODUCE”で意味していることを理解していなかったと認めた」とある。
また、「大平は、核搭載艦船が日本の領海や港に入るケースを仮定すると、この(米国の)“INTRODUCE”の解釈ではあてはまらないということだなと述べ、私は同意した。彼は、日本は“MOCHIKOMU”(持ち込む)をこうした限定的な意味を意識して使ってこなかったが、将来はそうするだろうと語った」と報告している。







