米側は日本市場の外国製半導体のシェア「20%」の明記にこだわるが、日本側は「何の根拠もない20%という数字をいきなり示しても(日本の)業界の協力は得られない」と反論。
翌日の協議でも「5年後に20%にするには米国製の購入増は日本製の2.5倍のペース。バイ・アメリカン(米国製品を買おう)だ」。業界に指導はできても、「20%」の明記は露骨だと拒んだ。
数日後の5月28日、状況を打開すべく、通商産業相の渡辺美智雄とUSTR代表ヤイターによる会談が東京で開かれた。外務官僚による報告書にはこうある。
「市場アクセス問題については、取極(半導体協定)本体において日本政府としての見通しを述べたり、ましてや特定のシェアを保証することができないことにつき米側は理解を示すに至ったものの、具体的数字に言及したサイドレターをどのような内容のものとするかについて調整はつかなかった」
この約3カ月後に日米両政府は、「日本政府は、外資系企業の日本での半導体売上が5年以内に日本市場の少なくとも20%をわずかに超えるまで成長するという米国の半導体業界の期待を認識する」というサイドレターの作成にこぎ着け、米政府の「報復措置」はいったん避けられた。
シェア拡大は実らず
米国の制裁が発動する
半導体協定と非公開のサイドレターを交わした後、米国系半導体の日本市場でのシェアは米国の期待ほどは広がらず、業界や議会の不満はおさまらなかった。
1987年4月17日、米国による戦後初の本格的な対日経済制裁が予告通り発動した。通商法301条により、日本製のパソコン、カラーテレビ、電動工具の3品目に100%の関税が課された。日本政府は不当だとしてGATTに訴えた。
日米関係が緊迫するなか中曽根が訪米。
4月30日にホワイトハウスで開かれた首脳会談の記録が、2018年の公開文書に含まれる。
《中曽根:半導体に関する措置は不幸だった。(1カ月後の日米欧首脳によるイタリアでの)ベネチア・サミット前に撤回を明らかにしていただけると政治的に助かる。
レーガン:I hope we can do it.》
中曽根は「今次訪米で(制裁解除の時期を)明らかにするのは自分の使命だ」とまで述べたが、言質は取れなかった。
訪米後の外務省の内部報告書は、米国の半導体業界や議会を抑えられないレーガン政権に対し、「首脳会談のやり取りを見ても米行政府の統治能力欠如は明らか」「日米貿易問題は外交問題でなく米国内政治問題そのもの」と厳しい。







