元参院議長の扇千景や
安保闘争で亡くなった樺美智子も
政官界では、参院議長(2004年7月~07年7月)や初代国土交通相などを歴任した扇千景がいた。神戸高校卒業後,宝塚歌劇団に入り、退団後は多くの映画やテレビに出演した。「私にも写せます」という8ミリカメラのCMなども大ブレークした。23年3月に死去した。
自民党の典型的なタレント議員として参院議員になったが、上手に政党を渡り歩くなどの遊泳術を発揮した。夫は、歌舞伎役者で人間国宝・文化勲章を受章している四代目坂田藤十郎(旧制私立東山中学・現東山中・高校卒、2020年11月死去)だ。
戦前の労農党の政治家で、「山宣(やません)」の愛称で親しまれた山本宣治は、旧制神戸中学を中退している。
英語の同時通訳の草分け的存在で、参院議員をした国弘正雄は東京府立六中(現都立新宿高校)から神戸一中に転校してきた。
元参院議員で厚相を務めた山縣勝見、衆・参院議員を務め、内閣官房副長官などを務めた鴻池祥肇(よしただ)、日本共産党所属の元衆院議員・正森成二も卒業生だ。
現職の国会議員では、日本維新の会所属の衆院議員が2人いる。医師出身の伊東信久(4期)と、兵庫県議出身の和田有一朗(2期)だ。
「第1次安保世代」という言い草がある。1960年ころ大学生だった世代の人を指す。この人たちにとって脳裏に焼き付いている人物がいる。東大生だった樺(かんば)美智子だ。
1960年の岸信介(旧制岡山県立岡山中学・現岡山朝日高校を中退し、旧制山口県立山口中学・現山口高校卒)政権の時代に、日米安全保障条約の新条約制定をめぐって革新勢力の間で反対運動が燃えさかった。樺は全学連主流派の一員として国会議事堂に突入した際に、警官隊と衝突、60年6月15日に死亡した。
樺は神戸高校から東大文学部に進み、当時22歳だった。1967年に中国共産党機関紙の人民日報は、「樺美智子は日本の民族的英雄になった」という毛沢東(湖南全省公立高等中学・現長沙市第一中学卒)のコメントを掲載した。







