このような「痛み」が日本社会のいたるところから噴出する。脅しているわけではなく、もはや我々の便利で快適な生活は、「日本人だけ」では成り立たない現実があると申し上げているのだ。
今まで通り安くてうまい惣菜が食べたいけれど、外国人には来ないでほしい。建設現場や農業、介護など肉体的に辛い仕事はやりたくないけれど、外国人には出ていってほしい――。
そういうムシのいい話はこれからの日本では通用しない。何かを得るためには、何かを失わなければいけない。
この「シビアな現実」をまずはしっかりと受け入れないことには、前澤氏の言う「量より質の国」など夢のまた夢ではないのか。