恐怖を安全圏から楽しむ
怖いもの見たさの仕組み

 怖いのに、なぜか観たくなる。手で顔を隠しながら、指のすき間から覗いてしまう。そんな経験はきっと誰しもあるのではないでしょうか。

 この矛盾した行動には、ちゃんと名前がついています。そう、「怖いもの見たさ」です。本当は見たくない。身体が緊張する。でも目が離せない。

 ホラーを観ているときはまさにこんな気持ちでしょう。

 わたしたちは、恐怖が本来「避けるべき感情」であることを知っています。

 命の危機を察知したときに発動し、心拍数を上げ、筋肉を緊張させ、逃走か闘争かの判断を迫る――それが生物にとっての恐怖の基本的な役割です。

 それでもわたしたちは、なぜか、あえてその感情に身を投じようとします。

 この行動の裏側には、わたしたちの生まれ持った本能が関係していると考えられます。

 たとえば、歩けるようになった赤ちゃんは、基本的にはお母さんのそばが好きだけれど、ずっとそこにいるだけでは飽きてしまいます。だからちょっとずつ自由に歩き回る「探索行動」をとります。

 赤ちゃんが探索行動をとるのは、お母さんという安全基地があるときだけで、そうでないときには赤ちゃんはあまりアクティブに動きまわりません。

「ここなら安全だ」というところを確保した上で、いろいろなところに冒険に行くのです。

 当然、大人にもこの性質は残っています。

 未知の領域を探求することに快を見出す。この仕組みが、ホラー映画を観たいと感じるときにも働いているのではないでしょうか。

 つまり、「これは映画だから、現実ではない」と認識できている。その安全基地があるうえで、未知の恐怖を「覗きに行く」。

 この構造が、「怖いもの見たさ」という感情を可能にしているのです。

恐怖に関する情報に触れると
過敏に反応してしまう

 しかし、恐怖体験が人を惹きつける理由は、安全な環境で探索できることだけではありません。

 もう1つ重要なのは、恐怖という感情そのものが、異常なスピードと強さで人の心身を動かす性質を持っていることです。