だからこそ若者が天寿を全うできない状況は涙を誘うし、それがカウントダウンの形で明確に表現できるようになったからこそ、「余命」というジャンルは生まれたと言えるでしょう。
さらに興味深いことに、先日、ある学会でシニアの研究者の方とお話ししていて、面白い話を聞きました。
『泣ける消費 人はモノではなく「感情」を買っている』(石津智大、サンマーク出版)
その方が行った若者調査で、「若者でも死は意識できる。だけれど、老いというものが想像できない」と明らかになったそうです。
たしかに「余命もの」の物語にはあまり「老い」が出てきません。
誰かが老衰で亡くなる話ではなく、まだ若く、夢も恋も希望もある人物が突然「死」と向き合う。そこにこそ、人は涙します。
おそらく、若者たちは「死」と「老い」を別のものとして捉えているのです。
そして、「老いて死ぬ」というリアルな死ではなく、「若いまま死ぬ」という「物語的な死」だからこそ、美しく思えて、感情移入できる。
余命ものの世界は、予告やカウントダウン、「若いまま死ぬ」という演出を使うことで、究極の別れである「死」を美しく感情移入できる物語に変えているのかもしれません。







