徐々に連絡の間隔が空いていくだろうということはお互いにわかっている。それでも決まり文句としてそう言うのです。

 あるとき、チリから来ていた友人が本国に帰ることになり、フェアウェルパーティーをしました。チリはすごく遠く、その人がチリに帰ってしまえば、たぶんこの先一生会わない。いわば「今生の別れ」です。

 ところが現代では、別れて3日後に連絡が来る。当時はSkypeしかなかったけれど、Skypeでピコンと通知が来るのです。後ろにダンボール箱の積みあがった部屋から「着いたよ」と連絡が来る。

「ああ、すごいな、いい時代になったな」と思います。遠く離れても、いつでも連絡がとれて顔が見られることは素晴らしい。素晴らしいけれど、一方でわたしには何かを失っているように思えてなりません。

 それは別れに対する心の準備ができなくなっているということではないでしょうか。

別れへの免疫がないZ世代は
親しい人間の死に耐えられるのか?

 今生の別れを受け止めることは、人生においてすごく大事なことです。

 どちらかが亡くなる生死の別れではなく、お互いに生きているけれどもう一生会えない。そんな別れにも深い情感が伴うはずです。悲しみが深ければ深いほど、その人と過ごした数年間が素晴らしかったということでもある。

 今はさまざまなツールで、遠く離れた人とも半ば現実かのようにコミュニケーションを取れるようになりました。そういうツールは便利だけれども、別れのような、人生における悲しい出来事が起きなくなっていく。

 それが人間の不幸への免疫力を弱めているかもしれません。

 なぜなら、別れを経験できる機会が少なくなると、肉親の死のような究極的な別れを、その瞬間が来ていきなり味わうことになります。

 どんな人であれ、自分も死ぬし、近しい人も亡くなります。それまでいくら無傷で生きていようが、必ず死ぬ。

 その避けられない別れに対して、準備ができないまま臨むのは、想像以上に大きな心の負担となるでしょう。