学校や職場で、「笑い声がいい」とか「そのシャツとパンツの組み合わせがユニークだ」とか、具体的に褒めてくれるのを聞くたびに空高く舞い上がることができたのは、元来の都合の良い性格によるかもしれないが、そういう栄養を必要としていたのだろう。
そうやって少しずつ「自分はそんなに悪くないのかもな」と思うことができ、コンプレックスを解消することができるようになった。
褒め言葉1つで
心の持ちようは大きく変わる
もうひとつは、諦め、というと、聞こえは悪いけれど、自分は自分でいい、と受け入れることができたことだ。比べることを放棄した、と言ってもいい。
世界は広い。どんなに容姿に自信のある人にだって、自分より容姿のいい人がいる。自分よりも頭の良い人、自分より稼ぐ人、自分より学歴のある人、自分よりおもしろい人は、どこに行ってもいるのである。だから比べても仕方がない、と腹をくくることができたのだと思う。
そういえば、30代の頃に広告業界の友達が教えてくれたことで大切にしていることがある。それは、かつてアメリカの美容メーカーが行った調査の結果で、「自分に対する印象は、自分から見える自分より常に良い」というものである。
つまり、だいたいの人は、自分以外の他者を比べたりしていないし、自分が思う以上に自分を好意的に受け止めてくれているのだということだ。
日本ではどこを見ても美容広告が目に入ってきてコンプレックスをくすぐることもあるだろうけれど、現実には、(よっぽど暇な人たちをのぞけば)自分に一番厳しいのは自分であり、だから、人の自分についての印象は、自己認識より必ず良い、ということになる。
そもそも、大人になったら、みんな忙しくて、人の短所に気を配っている余裕はあまりない(他人の外見の評価などに厳しい人がいたら「暇なのね」と思ってよし)。
最近、心置きない関係の女子たちとご飯を食べている時に、似たような会話があった。大活躍している素敵な2人も、やっぱり子どもの頃、「自分はかわいくない」「自分は愛されていない」と思っていたという。
そして、その原因は、大人たちが軽く言う言葉や、家族からの扱いだった。
そういえば自分も子どもの頃、ペチャパイ、団子鼻、マッチ棒、男女など、数々の不名誉な言葉が投げられてきた。こういう傷を抱きながら生きている人は少なくないはずだ。何だったんだろうか、あのけなしあうカルチャー。







