だが、私たちの前で、「ナベ、それはだめだぞ」と言うことのできた氏家は2011年3月に亡くなり、水上も旅立っていた。

 水上は私や巨人社長の桃井恒和を時々、レストランに招待してくれた。

「長く務めなければだめだ。いっとき負けたからといって、球団代表なんかをくるくる代えるようでは、巨人軍は強くならない」

 と声をかけ、役員会でも助け舟を出してくれた。

 そのあとを見守ってくれた内山も6月に社長の座から外れていた。彼ら3人がいれば、コーチ人事の行方も変わっていたかもしれない。しかしいま、渡邉の周囲にいるのは、親子ほども歳の離れたものわかりのよい人々に見えた。

原監督を巻き込んだ
コーチ人事劇の裏側

 長い1日だった。

 文句を言うなら飛ばすぞ、と凄まれて巨人軍事務所に戻った。夕暮れが迫っていた。社長室でオーナー兼務である桃井恒和が意外な話を始めた。

 渡邉がヘッドコーチとして招聘しようと言い出した江川卓と、原辰徳監督が翌日の10日夜に会食の場を持つというのだ。その結果を明後日に渡邉に伝えるという。いつの間にか、監督が渡邉の意を受けた代理人役を務めている。

 私は小さな声を漏らした。コーチ人事をめぐる混乱に監督を巻き込みたくなかったし、まさかオーナーや球団代表を飛び越え、監督が加わるとは考えてもみないことだった。

 読売新聞などによると、江川のヘッドコーチ招聘は、その原監督の提案であった。渡邉に今季の成績報告をした4日に持ち出したという。

 これは私の中に疑惑としてあったことだが、私はどうしても信じられなかった。彼は私との話し合いで、来季も巨人のヘッドコーチは岡崎郁で行くことで了承していたからだ。

 渡邉は原監督と私の仲が良くない、と思っていたらしい。

「(以前の球団代表だった)Aは長嶋(茂雄)監督と悪かった。Bは原監督とぶつかった。球団代表が監督と喧嘩しちゃ困るんだよ」とも言っていた。

 AもBも私の先輩で、渡邉との会話では実名である。彼らの名誉のためにも記しておかねばならないが、球団代表が監督と時々ぶつかり、渡邉の目に不仲に見えたのには理由がある。