例えば、1969年公開の五社英雄監督作品『人斬り』。勝新太郎さん、仲代達矢さん、三島由紀夫さんまで出演しているとんでもない作品ですが、長らくソフト化もされず“幻の名作”となっていた。これをテレビで初放送したところ、凄まじい反響があったんです。

 この経験から確信しました。マス(大衆)に広く浅く届ける地上波では数字にならなくても、ニッチでも熱量の高いファンに深く届けられさえすれば、それは巨大なビジネスチャンスになる、と。「地上波では難しくても、我々の規模なら担える役割がある」と強く感じた瞬間でした。

着付け、殺陣、カツラ…すべてが職人技
「技術の継承」のためにしたこと

――なるほど。ファンは消えていなかった、と。ただ、過去の名作を放送するだけでは、いずれ飽きられてしまう危険性もあったのではないでしょうか。

宮川:おっしゃるとおりです。ライブラリーを放送するだけでは、チャンネルの寿命はいずれ尽きてしまう。だからこそ、私たちは「オリジナル時代劇」の制作に踏み切ったわけですが、そこにはもう一つ、非常に大きな危機感がありました。それは、時代劇制作のノウハウ、特に京都の撮影所の職人技が途絶えてしまうのではないか、という危機感です。

 くしくも、国民的番組だった『水戸黄門』の地上波レギュラー放送が42年の歴史に幕を下ろしたのが2011年の12月。私たちが最初のオリジナル時代劇である『鬼平外伝』シリーズを世に送り出したのが、同じ2011年の3月でした。これは偶然ではなく、文化の灯を絶やしてはならないという強い意志の表れでした。

 時代劇は、着物の着付け、所作、殺陣、カツラ、小道具、セット…すべてが専門技術の塊です。しかし、地上波の仕事がなくなれば、その技術を持つ職人さんたちは仕事がなくなり、若い世代に技を継承することもできなくなってしまう。これは日本の文化にとって、計り知れない損失です。

 そこで私たちは、局の垣根を超えて、この文化を守り、継承していくことを決意しました。

 新しい『鬼平犯科帳』シリーズを制作する際も、「悩んだときは、挑戦しよう」と最初に宣言しました。それは、後世に残るクオリティーを担保すると同時に、京都の撮影所の職人さんたちに正当な対価を支払い、若いスタッフに技術を学ぶ機会を提供するためです。彼らの生活を守り、技術を継承していくことこそが、未来の時代劇ファンへの最大の投資だと考えています。