大人は、「頑張ったら/頑張らなかったら将来どうなるか」という姿を、自分自身の経験や周りの人たちの様子を通じて、何となく見通している(または、見通しているような気がしている)のですが、子どもはそうではありません。

 見ているものの時間軸が違いますし、経験値も違いますから、どうしても「今、この瞬間に自分がやりたい/やりたくない」という気持ちを重視しがちです。ただ、それを頭から否定しないでほしいとも思います。

 私も試験勉強は今でも嫌いです。小児精神科の専門医になるための勉強は大変でしたし、今でも3年ごとに更新試験があり、大量の論文を読んで問題に答えなくてはならないこともあります。自分の専門分野ですから、勉強は自分のためにもなりますが、それでもつまらないですし、やりたくないと思います。

「自分が嫌なことは、子どもにやらせなくてもいい」と言いたいわけではありませんが、やはり、子どもの気持ちに寄り添い、共感する姿勢は忘れないでいたいと思います。

「私も子どものころは嫌だったけど、我慢してやったから、あなたもやりなさい」ではなく、「私も子どものころは勉強するのが嫌だったし、もし今、やりなさいと言われたらつらいと思う。同じことだよね」と、子どもに対して「大変だよね」と心を寄せるところから始めてほしいと思います。

勉強へのやる気が出ないのは
本人の問題だけではない?

 大人になって、自分が子どものころを振り返ってみると、日本の学校の勉強は、受験文化の影響を強く受けていたように思います。本来、勉強というのは、自分が知らなかったことに出会ったり、興味を持ったことを追求したりという、大変でありながらも楽しい営みのはずです。

 しかし、変わりつつあるとはいえ、まだまだ受験を視野に入れた勉強では、与えられた情報を記憶することが中心です。また、本来、人はいろいろなタイミングで、それぞれが持つ興味に応じて社会に貢献できるはずなのに、受験勉強では、「決められた受験日に、与えられた問題を与えられた時間内に解けるか」という軸で価値が決められてしまうような気がします。

 本当は、学校で教えられている教科以外にも、学んでみると楽しいことがたくさんあるかもしれませんが、今の子どもたちは、学校の教科のみを頑張ることを求められがちです。