そういう世論の盛り上がりに、近衛はなす術もなかったはずだ。「話し合いで解決します」などと言おうものなら「弱腰」「軟弱」と叩かれて、軍部の不満も高まり二・二六事件のようなクーデターが起きていた恐れもある。

 つまり、愛国心と反中感情が高まった世論を納得させるためには、「悪事ばかりの中国軍を懲らしめる」と言うしかなかったのだ。これは中国共産党も基本的に同じだ。抗日・反日の感情が高まった中国人民を納得させるためには、「汚い首は斬ってやる」と勇ましいことを叫ぶしかなかったのである。

 このように戦争というのは、実は権力者が暴走して起こるだけではなく、世論の暴走が抑えきれなくなって起こることもある。日本では戦争の話題になると、国民は「被害者」として扱われるが、戦前の資料や記事を見ると、政治家よりも軍部よりも、戦争を心の底から望んでいたのは他でもない国民だ。

 これは「いつかきた道」で今の中国にも当てはまる。日本のことを好きな中国人もいるが、プロパガンダに煽られて強い反日感情が芽生えている中国人は少なくない。そのような人々が何かのきっかけで、「日本の汚い首を切れ」と叫び出したとき、おそらく習近平主席や共産党幹部にそれを抑えることはできない。近衛のように世論に迎合して、勇ましく開戦を宣言するしかない。

 高市首相になったことで、中国への強硬な対応を期待する声が多い。もちろん、筆者もそこは賛成だが、我々が対峙しているのは、かつての日本のように「過剰なプロパガンダで世論が暴走するリスクのある国」だという現実も肝に銘じておくべきではないか。