サンフランシスコの大きなチャイナタウンに住む華僑は、広東省出身の人たちが多く、かれらが亡くなると、遺体は必ず棺桶に納められ、船で広東に送られ、故郷に葬られる、というのです。
その際の一連の段取りは、すべてかれらのコミュニティの中で互助的に行われ、それがコミュニティのルールの1つとなっています。もちろん、中国側には送られてきた遺体を受け入れる体制が整っているということです。
これはサンフランシスコの記録ですが、おそらく同じようなことが、世界中の華僑のコミュニティでは行われているのだと思います。
それだけ華僑の故郷への帰属意識は強く、知人である長崎在住の華僑の人も、「自分は福建の金門の人である」と答えます。何年異国に住もうが、かれらは自分のアイデンティティをずっともちつづけているのです。
コミュニティを守るためには
血を流すことも厭わない
しかし、こうした帰属意識の強さは、国家に対するものではありません。かれらが帰属しているのは、あくまでも自分が属するコミュニティなのです。
そのため、コミュニティ同士の利害が対立する場合には、中国人同士でも戦いを辞しません。
これを中国語では「械闘」といいます。「械」は武器を意味するので、直訳すると、武器をもって闘う、ということです。
コミュニティを自衛するために武装するのです。かれらが農民であれば、械闘は農民反乱となり、コミュニティがアウトロー集団であればマフィアと化し、コミュニティが宗教的集団であれば白蓮教徒のようになるのです。
さらに、こうした武装コミュニティを軍事力に利用したのが、清末期の秩序維持を支えた李鴻章なのです。
このことがわかると、なぜいまの中国が法輪功を弾圧するのかが理解できることでしょう。
法輪功は新興宗教だから弾圧されているのではありません。強力な結束力をもち、政府と異なるイデオロギーを奉じるコミュニティだから弾圧されているのです。
1つの中国に固執するのは
バラバラになる恐怖ゆえ
王朝時代の体制教学として、コミュニティ結束の紐帯となっていたのは儒教でした。







