あの日、米屋で働きながら調理師学校に行くと母に伝えたら、母はこう言った。

「飯屋をやれ。飯さえあれば死なないんだから」

 そう、食いっぱぐれないことがなにより大切だった。

札幌グランドホテルで
鍋を磨きまくり正社員に

 飯屋になるべく、調理師学校にはまじめに通った。飯屋は飯屋でも、カレーでもラーメンでもなく西洋料理を志したのは、奉公先の米屋のお姉さんが夕食に作ってくれた、ハンバーグのあまりのおいしさに衝撃を受けたことがきっかけである。

 なんだべ、これ――。

 あのとき、黒いソースのかかったハンバーグを前に一瞬たじろいだ。「黒いキノコには毒がある」という母の教えを思い出したのだ。

 キヨミ!黒いものは食べるな。

 だが食欲にあっさり負け、恐る恐る口に運んでみる。食感はふんわりと柔らか。噛むと口の中にジュワーと肉汁が広がり、それが甘さと酸っぱさの混じり合ったソースと絡み合う。うめぇ。この世のものとは思えないおいしさだ。

「うめぇ」「うめぇ」「こんなうまいもん、食ったことねぇ」と、うなる僕に、米屋のお姉さんは笑顔でこう言った。

「ハンバーグがいちばんおいしいのは札幌グランドホテル。うちのハンバーグより100倍おいしいわよ」

 札幌グランドホテル――!?なんでも天皇陛下も泊まる北海道でもっとも格式の高いホテルで、道民ならその名を知らない人はいないんだとか。

 よし、決めた!僕は札幌グランドホテルのコックになる。

 そう決めたはいいが、中卒の僕には札幌グランドホテルの就職試験を受ける資格さえない。悔しいけどこれが現実だ。だから正面突破は端からあきらめ、体当たりで直談判し、鍋洗いのパートとして潜り込んだ。

 それからは来る日も来る日も鍋洗いだ。1人で何人分も働き、ピカピカになるまで磨いて磨いて磨きまくったら、その働きを見てくれたのだろう、半年足らずで正社員にしてもらえることになった。

“料理の神様”の弟子になるため
上京して帝国ホテルへ

 ようやくスタートラインにつけた。

 正社員になるときに社員寮に引っ越したが、寮にはほとんど帰らなかった。1日でも早く一人前になりたくて、みんなが帰ったあとの厨房で明け方まで料理の練習をしていたのである。