安全保障が根本から揺らぐ中で
日本はどうするべきなのか

 アメリカが日本に核武装を求め始めているのは、アメリカが同盟の構造を「再設計」し始めた証拠でもある。この再設計の見取り図には「アメリカが守る」時代から「同盟国が責任を分担する」時代への転換が描かれており、その中心に日本がある。

 アメリカ保守派のあいだでは、この再設計はもはや避けられない現実として受け止められている。日本が新たな責任を担うことで、東アジア全体がより強固な抑止構造を手に入れるという見方が優勢である。

 非核三原則、アメリカの拡大抑止、アジアの力の均衡といった、日本の戦後の安全保障の前提が、根本から揺らいでいる。これらの前提条件のもとに作られた「安全保障はアメリカ依存で、軽武装・経済政策重視」という吉田茂ドクトリンは過去のものになったと見るべきだ。

 私たちはまず、日本がこれまでと同じ道を歩み続けられなくなりつつあることを認識すべきである。台湾有事が現実味を帯び、中国の軍事的野心が剥き出しとなり、アメリカが世界の警察としての役割を後退させている。日本はもう「守られる側」の発想を捨てなければならない時期に来ている。

 アメリカの安全保障ストラテジストたちが日本に核武装を求め始めているという事実は、日本が主体的に安全保障の未来を選び取るべき段階に到達したことを意味している。

 重要なのは、日本が戦略的思考を持ち、日本にとって最も国益にかなう選択肢を採ることである。かつては「アメリカ依存」「反核」が最適解だったが、それは今の最適解でなくなりつつある現実を受け入れなければならない。核を保持するかどうかは、それを前提にして議論すべきだ。

 戦後の価値観を続けていれば、日本は戦争に巻き込まれないという発想はもう通用しない。それは「戦前、日本だけが侵略の動機をもっていた」という前提にした考え方だからだ。

 現在は、中国が「1つの中国」を言い、「台湾は中国だ」と主張して、そのトップが「武力併合も辞さない」と言っているのだから、侵略の動機は一方的に中国にある。

 戦後平和主義の前提はとっくに崩れ去っている。劇的に変化する国際環境のもと、なし崩し的にアメリカの戦略に引きずられるのではなく、日本の国土と国民を守るために何をして、同盟国の中でどんな責任を果たすべきかについて向き合うべき時が来ているのである。

(評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)