『ありのままの自分で、内定につながる 脇役さんの就活攻略書』(藤井智也・著)は、特別な経歴や夢がなかった“普通の就活生”である著者が、1000冊以上の本を読み込み、自分に合った就活メソッドを築き上げ、食品大手を含む22社から内定を獲得した実体験をもとにした、どんな学生でも内定に近づく一冊です。「自己PRで話せることがない」「インターンに参加していない」といった就活に不安を抱く学生と、そっと背中を押したい保護者に読んでほしい就活戦略が満載です。今回は特別企画として、上場企業の人事面接官を務め、これまでに就活本を3冊上梓してきた霜田明寛氏に、印象が下がりかねない就活生のリスキーな一言についてご寄稿いただきました。(構成/ダイヤモンド社・森遥香)
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面接で「成長したいです!」という就活生
「成長したい!」
人がそう思う気持ち自体はなんら否定されるべきものではない。しかし、これを面接の場で言うことは、実は多大なリスクを伴っているということを多くの就活生は気づいていないようである――。
筆者は2009年以降、3冊の就職活動の本を執筆。大学や大手新聞社主催の講演に登壇するほか、自身でもセミナーを開くなど、15年以上にわたって就職活動生を指導している。また、上場企業で人事面接を担当するなど、今も現役の面接官として就活生と対峙している。簡単に言えば、就活生が受かるサポートをしながら、一方で落とす仕事もしているのだ。
そんな中、特に最近、面接の場で「成長したい」という言葉を就活生から多く聞くようになった。類語としては「活躍したい」「市場価値を上げたい」もある。これらの言葉を使う就活生が増えているのだ。
言葉自体はいたってポジティブだ。社会に出ようとする就活生が、そのタイミングで自分を成長させ、自分の価値を上げようとしている。それを否定する大人は悪者にすら思える。しかし、面接官の立場から言うと、こういった言葉を考えなしに使っている学生は評価を下げざるを得ない。これらの言葉を面接で使用することは、なぜ、そしてどのようなリスクを孕むのか、解説していきたい。
まずは実際の面接であった「成長」や「市場価値を高める」といった言葉が就活生のクビをしめてしまったパターンを3つ紹介したい。
パターン①:定義できていない
ここでは実際に面接の場で起きたやり取りをみてもらおう。
面接官:10年後はどういう社会人になっていたいですか?
就活生:社会での市場価値が高い人材になっていきたいと、すごく感じております。
面接官:社会での市場価値が高い人材とはどういう人材のことなのでしょうか?
就活生:(10秒ほど沈黙)……。そうですね……。ちょっとまだ、深掘りできていない感じというか……。
この質問をした瞬間、「そこまで考えてなかった……」という顔をした就活生の顔が印象的だった。この例のように「人材としての価値を高めたい」という就活生は多くいる。だが、ただただ「高い」とか「上に」という言葉を使うのみで、具体的にはどういうことを「高い」というのか、どういう状況が「上」なのか考えられていない就活生もこれまた多い。
この数年、こういった言葉がビジネス社会の中で流行語のようになっていて、それをそのまま考えずに受け取って、ただ復唱するだけの就活生が増えているのである。彼らにとっては“上に行くことが正義”だが、では上とは何なのかまでは具体的にイメージせずに言葉を使用しているのである。頭を使わずに「成長したい」とだけ輪唱する人たちだらけで、彼らがコモディティ化していると言ってもいい。
自分がどんな状態にあることに価値を感じるのかは、就活生それぞれによって違うはず。就職活動とは、自分にとって仕事人生を捧げる価値があるものは何なのかを見極めるための時間であり、活動なのである。にもかかわらず、その価値を「市場に任せる」というのは「自分の頭で考えることを放棄した」と言っているのと同義である。
そんな就活生はただ「自分はないけど金をくれ」と言っているようにも見え、仮に内定をもらえたとしても便利に使われていくのがオチといってもいい。冷酷な言い方をすれば、頭を使わないコモディティ人材はどんどん安く使われていく――それこそが市場である。この発言自体が自分の市場価値を下げているという皮肉な状況になっているのである。
パターン②:学歴が低い
成長意欲があることを強くアピールしてくる就活生は多い。一見やる気があるようにも見えるが、これは諸刃の剣である。正直、成長意欲をアピールしてくるのに学歴が低いと、「え、なんでそんなに成長意欲があるのに勉強を頑張らなかったのだろう?」という疑問が湧いてくる。と同時に、その就活生の言葉が実を伴わない空虚なものに感じられるのである。
もちろん、人生は勉強だけがすべてではない。だが、何かその他の分野に没頭しているケースではない場合、まず目の前にあるのは学生の場合は勉強である。大学受験まで18年間の人生がある。成長意欲があるのならば、その間に1度くらい、学生の本分である勉強というジャンルで結果を出そうとしてもいいはずである。
もちろん、低学歴を全否定するわけではない。この「成長」という言葉を主張すればするほど、実体とギャップが生まれ、下手をするとその他に主張していることまでも信用しづらくなる、という話である。18年間、学生の基本である勉強面での成長を怠ったのにそれを自分のアピールポイントとして主張してくる人間が、その後、社会で成長意欲を根底とした行動を起こすとは考えづらいという判断になるのである。



