このあたりは今年3月の《子育てが「金持ちの暇つぶし」と化した終末社会・日本…「子どもを育てたくない」は若者たちの生存戦略だ》で詳しく解説をしたが、日本に限らずもともと人類社会では「子ども」というのは「労働力」と「社会保障」の役割を担っていた。
子どもがたくさんいれば家事や家業を手伝ってもらえる。医療や年金を受けることができない貧しい人々も、子どもがたくさんいれば、自分が病に伏せたときにも働いてくれるし、子どもが看病や介護をしてくれた。「貧乏子沢山」というのは「子ども好きの結果」ではなく「弱者の生存戦略」なのだ。
そういう「子ども=社会保障」が崩れたのが、日本の場合は高度経済成長期である。1959年、国民年金法が成立して、1961年には国民皆保険もスタートした。経済成長もして日本人の所得は上がって、どんどん豊かになった。
今の日本人の感覚ならば、医療や年金という病気や老後の不安を緩和する便利な制度ができて、生活も豊かになったのだから若者たちはどんどん結婚して、未来に希望をもって子どもをたくさんもうけたと思うだろう。しかし、現実は「逆」だった。
戦争が終わってしばらくした1947年には合計特殊出生率は4.54もあった。戦前の「産めよ増やせよ」という社会的圧力をまだ引きずっていたということもあるが、貧しい人たちがたくさんいたからだ。
それが高度経済成長期になって、社会保障も整備されてどうなったかというと、1961年の合計特殊出生率は2をわって、1.96まで落ち込む。そこから後の急落ぶりは説明がいらないだろう。
つまり、日本人は戦後、高度経済成長期で豊かさと社会保障という便利で快適な生活を約束してくれる制度を手に入れたが、それと引き換えに「子どもをつくる」というモチベーションを失ってしまったということだ。
こういう事実を冷静に分析すれば、「若者や低所得者に景気良くカネをバラまけば、どんどん子どもを産むはずだ」というのがいかに浮世離れした「妄想」なのかということがよくわかるだろう。







