東京大の安田講堂より
1年古い「感喜堂」

 瑞陵高校は1907年に、県立第五中学校として開校した。1922年に熱田中学校と改称された。戦後の学制改革で県立愛知商業学校(旧愛商)、県立女子商工学校などと統合され、現校名の「瑞陵」になった。全生徒の投票で、3度も決選投票をして決めたという。

「自由、自主、自律」を旨とした、自由な校風で知られる。1学年は普通科が7クラスに理数科1クラス、食物科1クラスだ。食物科があるのは、愛知県の公立高校で瑞陵高校だけだ。

 瑞陵高校は、名古屋市内の中学生からの人気が高く、入試倍率は毎年度、定員に対し3~4倍になる。

 校内には「感喜堂」という旧愛商の講堂が残っている。東京大の安田講堂より1年古く、24年の竣工だ。2022年に国登録有形文化財建造物に登録された。旧正門(旧愛商正門)の門柱も、登録済みだ。

 母校愛の強い卒業生が目立つ。この十数年で3人の篤志家が出ている。

 学校医だった広瀬清市が2004年に3億円を寄付した。これにより年に数回、教員・生徒の立案による国内外の博物館・美術館・研究所などの見学会や研修会が行われるようになった。

 広瀬の没後、歯科医の浜島誠一朗が「奨学事業」として、国内研修を引き継いだ。

 12年には3人目が現れた。資産家の熊沢喜八郎により「一般財団法人瑞陵高校助成基金」が設けられ、海外での研修が復活した。

 同窓会も「瑞陵高校瑞陵会基金」を作り、感喜堂内部を整備、空調設備を導入し学習環境を整えた。

 2025年春の大学入試(25年4月入学)では現役、浪人合わせ、京都大3人、名古屋大32人、名古屋工業大22人、名古屋市立大16人、大阪大5人、神戸大4人、北海道大6人、東京芸術大、筑波大各2人などの合格者を出している。

 私立大には早稲田大5人、慶応大3人、名城大184人、南山大158人、立命館大126人、同志社大70人などが合格している。

 現役で国公立大に合格したのは、157人だった。25年3月の卒業生数は352人だったので、その比率は44.6%だった。