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現在、首都圏では新しいチャイナタウンが続々と生まれている。東京では、池袋北口、高田馬場、新大久保、亀戸、小岩。そして埼玉県川口市の芝園団地……。彼らはなぜ、この土地に移り住んだのか。記者が住民に直接話を聞くと、日本では語られてこなかった“本当の理由”が見えてきた。※本稿は、日本経済新聞取材班『ニッポン華僑100万人時代 新中国勢力の台頭で激変する社会』(KADOKAWA)の一部を抜粋・編集したものです。登場する取材協力者の肩書きや年齢は取材当時のものです。
新チャイナタウンとして
生まれ変わった池袋北口
従来、「チャイナタウン」と言えば、その歴史は長く、日本人にもなじみ深いものだった。
横浜中華街、神戸南京町、長崎新地中華街が「三大中華街」と呼ばれ、これら中華街は、いずれも旧開港地に誕生した。
「三把刀」と呼ばれる刃物を使う料理人(包丁)、理髪師(かみそり)、仕立屋(はさみ)などに従事し、1978年の改革開放政策以前に移住した「老華僑」が築き上げてきた。今ではいずれも各都市を代表する観光地として、多くの日本人にも親しまれる。
一方、「池袋北口」に代表される、近年誕生した新チャイナタウンは成り立ちからして、全く異なるのが特徴だ。
池袋は無論、旧開港地ではなく、JRや地下鉄、私鉄など多くの路線が集まる日本有数のターミナル駅であり、アクセスが良い。加えて、昔から雑多な雰囲気が中国の街のそれとも似通っており、仕事や学業、生活の拠点として多くの中国人に好まれた。
在留中国人の多くがここに集まるようになり始めたのは、2000年代も後半に入ってから。
近くの新宿区の高田馬場には中国人にも人気の早稲田大学があり、新大久保には安アパートが多く、中国人留学生には住みやすかった。







