零戦が深窓の令嬢なら
紫電改は下町のおてんば娘

 烈風は17試艦上戦闘機の名で、零戦の後継機として開発された。設計は、零戦、局地戦闘機雷電と同じく、三菱航空機の堀越二郎技師が担当した。

 海軍側が、格闘戦性能に重きをおいた要求をし、翼面荷重を小さくせざるを得なかったこと、最初に搭載した誉エンジンの馬力不足などから、期待された性能を発揮することができず、のちに改良が試みられたものの実戦には間に合わなかった。

 志賀さんの回想――。

「紫電改に最初に乗った印象は、零戦が深窓の令嬢とするなら、紫電改は下町のおてんば娘。洗練された飛行機ではないが、20ミリ機銃四挺は有効だし、降着装置さえ良くなれば、あとはエンジンのトラブルだけだ。これは実戦に使える、と思いました。

 アメリカのグラマンF6Fでもなんでも、牙をむいたイノシシみたいな飛行機でしょう。それに対抗するには令嬢じゃ駄目だ、おてんば娘でないと。そういう意味で期待のもてる飛行機でしたね」

 しかし、烈風に対しては志賀さんの点はきわめて辛い。

「烈風の海軍側の初飛行は、昭和19(1944)年5月31日、三重県の鈴鹿飛行場で私がやったんです。離陸してみたら、上げ舵がとれない。大丈夫かな、と思い、すぐに脚上げにしたら、脚がおさまったとたん、舵がきくようになりました。

 ホッとして、着陸して改修の上、その後数日間にわたって一通りの特殊飛行を試してみたんですが、乗り心地がよくて飛行機としてはよくできているんですが、やはりこれは使えないというのが私の結論でした。零戦を大きくしただけで、これでは後継機になりえません。

 いちばんいけないのはその大きさでした。被弾面積が大きすぎ、防弾は考えていないから、どこに敵弾が命中しても火がつく。戦闘機というのは機銃を撃つための飛行機でしょう。それが、同じ20ミリ機銃4挺を運ぶのにこんなに大きいのでは話にならない。烈風は実戦に間に合わなくてむしろよかった。ほんとうにそう思います」