さらに考えると、私はやはり、習慣、習性というものが、人間が生きて行く上にひじょうに大切だと思う。習性は第二の天性といわれる。それほど強い力をもっている。

 だから良い習性を身につけることがひじょうに大事だと思う。

 良い習性を身につけずして、怠け者というか、良くない習性が身についてしまったら、途中からこれを直そうとしても、なかなか難しい。そうして見ると、青年のうちに勤勉努力、奮闘努力という良い習性のつく環境に身をおくことが、何といっても大切だと思う。

なくなってしまう財産より
一生消えない習性のほうが大事

 さらに、今日では、財産というものは当てにならぬ。

 徳川時代とか明治初年には、家というものを中心にして、財宝が子孫にだんだん伝わっていった。だから、どの藩でも、阿呆な殿様がいると、子とか弟とか、殿様になるような人をもってきて、次の殿様にする。だから、人より家が中心であった。

 家を中心にするから、その家につく財産もだんだんに継承されていく。だから、その時代においては財産というものは、ある程度、意義があり、強い力をもっていた。

 このごろは、財産があっても、子供の代には相続税でゴソッと取られてしまう。まして世の中でもひっくりかえる可能性が多分にある。だから財産などというものは、当てにならない時代なのである。

 そこで財産より強いものは何かというと、自分の身についたものである。学問、芸術、技術といったものは、終世自分のからだから離れないものだ。歌が上手だとか、その他いろいろな才能は自分から離れることはない。

 そう考えてみると、勤勉努力の習性というものも、終生その人から離れない、身についた財産である。そういうものの価値判断をもう少し分析し、尊重する必要がある。

 ところが実世間では、あの人はこういうような良い習性をもっているから、あの人は偉いとか尊いとか、つまり価値があるというようなことは、あまりいわない。

 芸能とかいうことになると、彼は歌が巧いとか、すぐわかるけれども、ある場合には、芸能とかいうような身につけたものよりも、勤勉とか努力というものの方が、実際は力が強い。