金も同様で、われわれは金が目的で金を欲してはいけない。目的は金ではない。人間生活が目的である。しかもそれは共同の人間生活が目的である。それを高めるために、われわれは自分の役割を果さなければいけない。
大きい役割を果すには、それだけたくさんの潤滑油もいる。
仕事が世のためになれば
金は後からついてくる
仕事そのものがよくて、世の中のためになるという場合には、金は自然とついてくるものだ。美空ひばりの場合でも、世間の人があの歌はおもしろいなと思ったら金を払う。
なんぼ金もうけしようと思っても、それに価値がなければ金はついてこない。その人の仕事に社会的価値がある、あるいはその他の価値があれば、それにふさわしい潤滑油ができてくる。
それは、おまえ、もっとしっかりやれということに解釈したい。そういうふうに解釈するならば、金というものに対して考え方が変ってくる。
『松下幸之助選集7 仕事の夢 暮しの夢/物の見方 考え方』(松下幸之助、PHP研究所)
命よりも金が大事だということになってくると、金にお互いの畑をとられてしまう。金のために、人格のない人間はみんな使われてしまう。これはひじょうに低いものの考え方である。
金は尊いものだという。実際に金がなかったら何もできない。潤滑油を持たない人は自分の生活もできないような今の社会情勢である。
だから金によって命をつなぐこともあるから、金は尊いということはいえるけれども、それは本質的なものではない。1つの方便としてそういうことがあり得るわけだ。
金がなくても、ほんとうにその人に潤滑油を必要とするものがあれば、その人は求めずして金が得られる。これを使ってください、あれを使ってくださいといって、潤滑油を提供するものが出てくる。







