今日といえども、実社会の職場で、そういう習性を身につけるような勤務ぶりを、まず第一に求めているのだ。そういう習性を身につけるように指導するということは、世間が月給とか賞与とかいうものを考える以上に価値がある。

 ところが、そういう価値を多くの人は、認識していない実情である。もっと大手をふって、その真価を評価してよいのである。(昭和33年12月)

仕事の目的は金もうけではなく
生活を昨日よりよくすること

 私の経営のしかたは世間でもいろいろいわれているようだが、私は私なりに1つの考え方を持っている。

 その第一は、なぜわれわれは仕事をしなければならないかという問題である。これはお互いが働かなかったら、食っていけないからにはちがいないが、ただそれだけではないように思う。

 ただ食うだけでなくて、生活の一切が今日より明日はなおよくなる、そのために働かねばならないものだと思う。人間にはそういう1つの大きな役割がある。

 お互いに、物を製造する人も、それらを助成するのに関連した仕事をする人も、みんなそういうことを目的にしている。精神的にも物質的にも、今日よりも明日はよりよき生活をしよう、そのためには何を考えるかということである。

 そういうふうに考えてみると、金もうけをするということだけのために、ものを考えたらいけないわけだ。

 資本主義国家においては、目的はちっとも変らないけれども、それを各自の自由裁量において、しかも最も経済的に愉快にするために、資本主義経済というものができている。だから資本なり金は、いわばその潤滑油みたいなものである。

 だからわれわれは潤滑油のみのために仕事をしてはいけない。目的のために仕事をして、その目的のためにする仕事を、さらに能率的にするために潤滑油を必要とするのである。だから、金はどこまでも道具であって、目的は人間生活の向上にある。

 私はそういう考えである。そのために私の会社の経営はどうあるべきか。