しかしこれは松下電器の経営だけがこうあっても、はたがそれに調和しないような状態であれば行きづまるから、あまりかけ離れたことは考えられないけれども、そういうふうに、1つの仕事中心にものを考え、そのために必要な潤滑油としての金というものを一応考える。

 だから私がお互いに金もうけをしたらいいというのは、お互いに潤滑油を持たんでやろうとするから、せっかく努力したことが空まわりしたり、あるいは熱を持ったりするからである。

 この回転がはやまっても、潤滑油をよけい注入したらいいわけだ。その意味で潤滑油、すなわち、金もうけが必要なのであると思う。

生活するための潤滑油は
そんなに多くはいらないはず

 とはいっても、世間がそういうふうに、見てくれるかどうか。あいつは金もうけがうまい、経営がうまい、よけいもうけるというふうに見えるかもしれない。

 けれども私は、どこまでも金銭は潤滑油以上に必要としない。

 その潤滑油は時に切れたらいけないから、あるいは1カ月分、半月分というものは蓄積しておかなければいけないけれども、必要以上のものをためる必要はない。

 もし潤滑油をより以上にためる人があれば、それは金もうけの邪道になる。そうして大きな意味で社会を毒することになる。資本の横暴ということになってきたり、そこにむりが起こってくる。

 私の経営は、そういう目的に合致する最もすなおな方法はどうしたらいいかということを考えてやっている。

 しかしそれは、世間が認めてくれればいいけれども、あいつはあんな体裁のいいことをいっているが、金もうけ一点ばりでやっているのだといって誤解されたら、これは壊されてしまう。

 松下はどんどん伸びていくから、ひとつあいつを叩いてやろうということになって、こっちが適当に潤滑油をためているのに、たまらないような経営をしなければならないような外部の圧迫があると、仕事はできなくなる。

 しかしそれは私の損害ではない。社会の損害である。私自身にとってはどっちでも同じことである。

 お互い生活するには、生活の道具がいる。それにはまず家がいる。家がなかったら野ざらしだから、どうしても家をつくらなければならない。

 けれどもそれは、家が目的ではない。住むために家が必要なのだ。