軍縮賛成なのに軍縮反対?
信念も国の将来も二の次に

 鳩山は言う。

「用兵と国防の計画を立てるということが、憲法第十一條の統帥権の作用であるかどうかということを考えますれば、憲法第十一條の作用の中にあるということは議論はないのである」

 つまり憲法上、軍縮は天皇の権限である統帥権の中に含まれているから、政府が勝手に軍縮条約を結ぶことは認められない、と、軍縮反対派軍人と同じ主張を繰り広げた。

 ここで疑問が出てこよう。鳩山一郎というのは軍べったりの政治家で、軍部強硬派の言いなりだったのか?

 違う。鳩山は親軍的なポーズをとることもあるが、軍縮に反対ではなかった。党内の軍部迎合派と真っ向から対立し、のちの大政翼賛会には否定的で、終戦工作にも関わっている。

 鳩山が軍部べったりでなかったのは、「鳩山は自由主義者だ」と右翼から攻撃を受けていたことが何よりの証拠となろう。

 何が言いたいのかというと、鳩山は「自分の信条=軍縮賛成」とは反対の主張をして政府攻撃をした、ということを指摘したいのである。鳩山は政権を奪うために自分の信念も、国の将来も二の次にしたのである。

 ロンドン軍縮条約に反対し国会で政府を追及した野党・政友会の主要メンバーには、この手の議員が多かった。

 例えば、親軍的なグループから距離を置いていた内田信也。日中和平に尽力した犬養毅。協調外交を主張し続けた石橋湛山と行動を共にしたこともある、財政通の大口喜六。

 彼らの心中は軍縮賛成でありながら、「政府を攻撃するためなら、国の将来や自分の信念など二の次」と考えたのである。

 濱口雄幸首相は、折からの世界恐慌も重なって政治的なダメージを受け、蔵相の井上準之助と前後してテロに遭った。井上は即死、濱口は襲撃時の傷がもとで9カ月後に亡くなる。

 濱口内閣の後、同じ民政党の第二次若槻内閣が短期間あり、その後ついに政友会は念願叶って政権復帰し、犬養毅が首相となった。

 濱口内閣を攻撃して止まなかった政友会の犬養も、軍事費には厳しい態度で臨んだ。そのせいもあって、犬養は5.15事件で暗殺されてしまうのである。