断っておくが、ロシアのウクライナ侵略や軍拡を進める核超大国の中国、頻繁にミサイルを発射する北朝鮮など、どう考えても好戦的な国々がある中で、いま日本だけ不用意に軍縮するのは合理的とは思えない。
しかし1930年当時の国際情勢は、世界恐慌によって日本を含め各国とも経済の停滞を余儀なくされていたから、軍縮は極めて合理的な判断と言えた。
また、条約の結果強いられる艦艇比率が英米に対して小さいことは、当時の日本の国力から言ってこれも無理筋とは言えない。
だから海軍でも、条約に賛成する軍人は少なからず存在した。
山本五十六の盟友として知られる堀悌吉中将(最終階級。以下同)や、のちに首相となる斎藤実大将、岡田啓介大将、あるいは昭和天皇の信任が厚かった山梨勝之進大将らである。
斎藤や岡田は別にして、ほかの主立った軍縮賛成派はのちに多くが人事的に不利益を被ったが、それでも彼らは信念を貫いた。
軍縮反対派の「統帥権干犯」に
率先して同調した“政友会のプリンス”
他方、当時の国会では、とんでもないことが起きていた。
軍縮反対派の軍人たちが持ち出したのは、「統帥権干犯」という理屈だった。縮めて言えば、「海軍の艦艇量を決めるのは、天皇が持つ権限(統帥権)で、政府には艦艇量決定の権限がない」というもの。
法律解釈はやや煩雑な説明になるので、ここでは省く。要は海軍の一部が当時の濱口雄幸内閣に対して、「艦艇量決定の権限もないのに、勝手に軍縮条約を締結したのはけしからん」と言って攻撃したのである。
海軍軍人の一部が軍縮に嫌悪感を持つのは、感情としてわからないでもない。ところが、国会で野党もこれに乗って政府攻撃をしたのだ。
当時は民政党内閣で、野党は政友会。野党・政友会はなんと、条約反対派の軍人が主張する「統帥権干犯」を持ち出して政府を徹底攻撃した。
野党・政友会は、軍のお先棒をかついだのである。
その先頭に立った政治家の一人が、鳩山一郎。彼は戦後総理大臣になるが、戦前から政界で実力者として頭角を現わし、当時は「政友会のプリンス」と言われた。







