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歴史には数々の「失敗」がある。この真実を読み解くことで、時を経て繰り返される現代の失敗に向き合う連載『歴史失敗学』。第10回は、戦前、野党が繰り広げた政府与党への攻撃が、政治を良からぬ方向に導いた事例をお届けする。(作家・歴史研究家 瀧澤 中)
野党の役割「政府の政策監視」が
政治を良からぬ方向に…
最初に断っておくが、本稿は特定の政党の是非を問うものではない。野党になればどんな政党も陥る可能性のある失敗について述べるものである。
戦前も戦後も、あるいは自由選挙が行われる国においては、野党は政府の政策を監視し、間違いがあれば指摘するという役割がある。
そして、政府与党を攻撃することで有権者にアピールし、選挙での勝利を目指すのは当たり前の話で、それ自体は批難すべきことではない。政党は自分の政策を持っている。それを実現する確実な方法は、選挙に勝って政権を担うことだからである。
しかし、政府への攻撃(質問)がときに政治を悪い方向に動かすことがある。その例が、1930(昭和5)年に起きた「統帥権干犯問題」である。
この年、ロンドンで海軍軍縮条約が話し合われた。
海軍の補助艦に関する軍縮で、「A国はこれくらい、B国はこれくらい補助艦艇を持っていい」という、艦艇の比率を決めるもの。ちなみに補助艦艇とは、戦艦以外の巡洋艦や駆逐艦などを指す。条約では、日本は米英のおよそ7割(正確には6.975割)保有と決まった。
いまでもそうだが、どの省庁にしても予算が削られることを嫌がる。ロンドン軍縮条約のときは、保有艦艇を制限される海軍が猛反発をした。
軍縮は、軍にとっては戦力を削られるのだから容易に了解しづらいであろうが、国全体からみれば、時期によって良いこともある。







