象徴的なことは、あれほど口を極めて反対していたロンドン軍縮条約について、犬養内閣は条約を破棄しなかった。すなわち、犬養ら政友会の面々は条約締結が正しかったことを知っていたのである。
政友会はロンドン軍縮条約問題で政府攻撃のため統帥権を利用した。野党が、世論にアピールすることだけを目的として、国が直面する現実や大局的な利益を顧みなかった。これは、「政治家の自滅行為」とも言うべきではなかろうか。
「政府が軍縮できるかどうか」の記述なし
なぜ憲法改正ができなかったか
さて。鳩山一郎や内田信也たち野党・政友会は、濱口雄幸首相に対して「曖昧な答弁は許さない」という姿勢で臨んだ。
「(軍備を)決定する所のものはいずれの機関でありましょうか」(鳩山一郎)
「法的根拠を示せ」(鳩山一郎)
「兵力量を決定するということは、憲法第何條の作用であるか」(内田信也)
「(兵力量を決定した行為は)憲法第十一條の統帥権に基づくものなりや、第十二條の編成の大権に基づくものなりや」(内田信也)
曖昧な答弁を許さない質問は、過ちではない。
対して政府は、曖昧にごまかさざるを得ないときがある。当時の濱口雄幸首相はまさにこれで、憲法論には「お答え致しませぬ」と言うのみであった。
濱口首相はなぜ答えられなかったのか。
それは、大日本帝国憲法(以下「帝国憲法」)には政府が軍縮を行えるのかどうかの記述はなく、本来であれば憲法を改正して条文を整えればよかったのだが、憲法改正はほぼ不可能な時代であったからである。
帝国憲法は明治天皇によって定められた「不磨の大典」とされた。不磨、つまり永遠に価値が失われないもの、である。これでは天皇絶対の時代、改正などできるわけがない。
濱口は軍縮を進めるために、憲法論すなわち統帥権に関する答弁を避けた。憲法論をやれば政局が混乱することは目に見えていたからである。そうなれば軍縮もどうなるかわからない。







