「印刷された定型文だけでは、どうしても味気ない。せめて重要な方には、1枚1枚、自分の字でひと言添えたい」
忙しい年の瀬、スケジュールはぎっしりと埋まっています。それでもお客様は、机に向かい、一枚一枚の年賀状にペンを走らせます。
1通あたりにかける時間は1分か2分、それほど長くはありません。しかし、受け取る側にとって、その1、2分が持つ意味は決して小さくありません。
そこに現れるのは、字のうまさや見栄えではありません。むしろ、字の上手下手にかかわらず
・ 丁寧に書こうとしているか
・ 相手の顔を思い浮かべながら言葉を選んでいるか
・ 時間に追われた雑な書き方になっていないか
といった部分が、文字の揺れ方や行間の取り方、ペンの運び方からにじみ出てきます。人は無意識のうちに、そこにこもった「丁寧さ」と「思い」を読み取るものです。
定型の挨拶文だけが印刷された年賀状と、「昨年は○○で大変お世話になりました」「ご家族皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます」といったひと言が手書きで添えられた年賀状。
この二つを受け取ったときの印象の差は、言葉にしなくても誰もが感じているはずです。
ワープロで印刷された文章は整っていますが、「誰が書いても同じ」に見えてしまいがちです。一方、手書きの一行には、その人にしか出せない癖やリズム、言い回しが宿ります。そこから伝わってくるのは、文才ではなく、人柄です。
社会心理学の分野では、「返報性の原理」が古くから指摘されています。これは、人は誰かから何かしらの好意や配慮を受け取ったとき、「いつか自分も何かを返したい」と感じる傾向があるという考え方です。ちょっとした贈り物や心づかいが、相手の「イエス」を引き出す強力な要因になることを、さまざまな実験や実務の事例が示しています。
形式ばった印刷文だけの年賀状よりも、手書きで一言添えられた年賀状の方が、「自分のために時間を使ってくれた」という好意として受け止められやすくなります。その結果、相手の心の中に、静かな返報性の回路が生まれるのです。
富裕層は、この「アナログな人柄のにじみ」と「返報性」の働きをよく理解しており、だからこそ忙しい中でも、大切な相手には1枚1枚手書きの言葉を添えるという、手間のかかる選択をあえて続けているのです。







