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男性管理職に生理痛を疑似体験させる研修をめぐり、SNSで賛否が噴出した。「痛みを知ることは理解への第一歩」と評価する声がある一方で、「道義的にどうなのか」などの反発も見られる。生理痛体験会は、相互理解を促進する有効な手段なのか、それとも善意ゆえの危うさをはらむのか。障害シミュレーションをめぐる議論は海外のにもあり、これらを参照しながら「体験による理解」が持つ限界と可能性を考えてみたい。(フリーライター 武藤弘樹)
男性が「女性の痛みを体験」して
男女の相互理解が進む?
世の中には女性の生理痛を擬似体験できる装置がある。先月、都議会でこうした装置を利用して男性管理職が生理痛を体験する研修が検討された件をめぐって、SNSでは賛否両論吹き荒れた。
生理痛体験研修を行っている会社のサイトによれば、企業などで研修が行われており、2025年12月末時点で2万人以上が体験したことがあるとのこと。
参加した男性らは「女性の痛みの一片が理解できた」と前向きなコメントが多いようだ(無論、研修後にマイクを向けられ「どうでした?」と聞かれたら「意義深かったです」としか答えられないであろう種類の質問および状況ではあろうが)。
それを眺める否定派の意見は「道義的にどうなのか」「それで生理痛やそれが及ぼす不自由を理解してもらった気になることこそが誤解なのでは」など多角的である。
個人的には、男性が生物学的にどうあっても想像することしかできない生理痛の一端を知るきっかけになるなら、意義があると思う。
女性側が「男性側が痛みの一部を理解している」と感じたり、もっといえば「男性が理解を示そうとしている姿勢」が一定の満足感につながって、じゃあ女性も男性を一歩進んで理解しようという気になるかもしれないとか、なら男女の相互理解が進んで世の中よりハッピーなんじゃないかなどと考えていたが、いろいろ調べてみたところ話はそう単純でもないようである。







