任意とされていても
組織の中での「見えない圧力」が…
まず、本件(都議会で「管理職に生理痛体験研修」についての言及があった件)について最初に取り上げた集英社オンラインの記事(「男性管理職に生理痛体験」都条例をめぐりSNS大荒れ…参加者は「理解する姿勢が大切」との感想も弁護士は「強制は暴行罪の可能性」)では、弁護士の「無理やり受けさせると暴行罪に該当する可能性」という趣旨の談話もあわせて紹介している。
「暴行罪」という字面だけでも何やら冷たくておそろしく、「相互理解ハッピーうぇーい」などと考えていたお花畑の筆者の脳天を一撃する迫力を備えている。
また、「受ける・受けない」の自由はあるといっても、この「自由」は実質的には結構建前に堕しているところがある。
なぜならその選択肢を突きつけられている時点で同調圧力があったり、「組織の中で求められる選択」が胸をよぎるはずで、真に自由なる意志のもとで「受ける・受けない」の決断が行われることは稀である。
すなわち「受けておいた方が八方丸く収まりそう」という雰囲気が漂っている時点で、「受ける受けないも任意です」の「任意」にいくらか強制力が備わってしまっているからフェアでない。
そもそも生理痛体験とはどのようなものか簡単に説明しておくと、国内では「ピリオノイド」と呼ばれる装置を使うものが主流なようである。下腹部にパッドを貼って、そこに電気を流して生理痛を模した鈍痛を再現する。痛みは弱・中・強の3段階に調整可能とある。
もちろん個人差はあるのだが、多くの男性が予想を上回ってかなり痛がるようで、「改めて、生理痛って大変だ」となるらしい。
しかし生理痛体験会を受けたことですべてがわかった気になってしまうと、生理痛への理解からは逆に遠のくことになり、そこを懸念している人は多い。痛みの程度に個人差があることに加え、生理痛にまつわる問題というのは痛みそのものだけでないからだ。







