未公開株が譲渡されていたわけでもなく、適法に処理されていた献金でしたが、国会ではリクルート社との関係があること自体が、問題視されるようになっていました。
その日の朝我が家に、社会部の記者が大勢やってきました。家の門を開けて敷地に入ってきます。家族で「ちょっと待ってください。外にいてください」と対応したことを覚えています。
一時的に騒ぎにはなりましたが、私たち家族は父が何か悪いことをした、ずるいことをしたとはまったく思いませんでした。悪いことはできない人だと信じていたからです。
それまでの官房長官会見でもリクルートの江副浩正会長との人間関係を率直に話していました。私は母と「お父さんらしいね」と話していました。他の方々は「知らない」「記憶にない」ばかりでしたから。
昭和天皇の容体の不安と
新元号への期待感が交錯する
昭和天皇は88年9月に喀血(かっけつ)されて以来、闘病生活を送っていましたが、年が押し迫るに従って血圧の低下が見られるなど、容体がどんどん悪くなっていました。官房長官会見でも、陛下の容体の質問がかなりの部分を占めるように。
その緊張感について父は、後日月刊誌「文藝春秋」に発表した手記でこう語っています。
〈私は官房長官に就任当時から「訂正官房長官」という異名を頂戴したが、本件のみは「訂正」は絶対に許されない。私は、会見前、冷たい水で何度か顔を洗い緊張を鎮めたことが思い起こされる〉
枕元に常に電話機を置いて寝る毎日で、父の気持ちが張りつめているのを感じました。一方、ニュースなどで話題になっていたのが、昭和の次の元号。この頃、父がたまに家に帰ると、たくさんの記者さんがついてきました。
不遜にも私は父に尋ねました。
「パパは元号をもう知っているんでしょ。誰にも言わないからこっそり教えて。お願い!」
父はある時、緊張した顔をふと緩めてこう答えました。
「じゃあ優ちゃんにだけ教えてあげるよ。新しい元号は“千鶴子”(母の名前です)だよ!」







