年が改まると、陛下の容体はさらに悪くなりました。父は陛下の状況を「超低空飛行状態の飛行機のプロペラの回転が落ち、翅の1枚1枚が見え始めたような、そのような厳しい状況」と認識していたそうです。
そして1月7日午前5時頃、父の枕元に置いた電話機が夜明け前の静寂を切り裂いて鳴ります。父が電話に出ると藤森昭一・宮内庁長官でした。
「侍医長からの報告によれば、陛下の御容態に急変があり、私は今から公舎を出て、皇居へ伺います。また御連絡致します」
この時父は、「ある程度、覚悟していたこととはいえ、その一瞬、心臓が“ギュッ”としめつけられるような気がした」とのちに打ち明けています。父は慌てて家を飛び出していきました。
新元号発表に込められた
小渕の細やかな気配り
午前6時33分、天皇陛下が崩御されます。7時55分、父は記者会見に臨みました。
「天皇陛下は午前6時33分、吹上御所において崩御されました。誠に哀痛の情にたえません。国民とともに心からご冥福をお祈りします」
それから臨時閣議、総理大臣謹話の発表、政府与党首脳会議と、午前中は怒濤のような日程が続きます。
そして新元号の決定。午後1時から総理官邸の大食堂で「元号に関する懇談会」が開かれました。新元号が決まっても懇談会のメンバーは発表が終わるまで部屋から出られません。
父は秘書官に額を買ってくるようにお願いします。今まで元号を書にして掲げるという慣例はなかったのですが、新元号がビジュアルでも分かりやすく伝わるようにと、額に入れて見せることにしたそうです。
秘書官が白木の額を用意すると、「ガラスが入っていたら、光が反射してうまくカメラに写らんだろ」とガラスを外すように言ったそうです。父の細やかさがよく分かります。
書を書き上げるのは辞令専門官で書家の河東純一さんにお願いしました。
そして午後2時35分。
「新しい元号は……平成であります」
そう言って父は、墨痕がまだ乾ききっていない「平成」の書が入った額を掲げました。「平成」は『史記』の「内平らかに外成る」、『書経』の「地平らかに天成る」という漢文から引用されました。「内外天地ともに平和が達成される」という意味が込められています。







