昭和天皇崩御にまつわる大役を
小渕らしく果たしきった

「戦前の肩肘をはった軍人のように、直立不動で、天皇陛下をうやまうということはなくとも、ごく普通の日本人として、天皇陛下をお慕い申しあげている人間が、新しい元号を国民に伝える役目を無事果せたのだから、これほど光栄なことはない」

 父は自らが新元号の決定、発表に携わったことを、あとからこのように記しています。

 天皇陛下崩御の深い哀しみと、新元号の決定、発表という大役を果たした安堵。歴史に足跡を残した高揚が、交錯していたように思います。

 ここまでまるで横で見ていたかのように書きましたが、実を言うと私はこの日寝込んでいて、起きたら元号の発表が終わっていました。

『わたしと父・小渕恵三』書影『わたしと父・小渕恵三』(小渕優子著、青山和弘編、講談社)

 一方、同級生の多くが中学校のスキー学校に行く途中のバスの中でこのシーンをテレビで見たようで、「小渕のパパだ!」と歓声が上がったそうです。

 我が家では私の友人が遊びに来ると、決まって父が「よく来たね~。ご苦労さん。ご苦労さん」と喜んで顔を出していました。なので友人の間でも父はちょっとした人気者でした。仕事帰りのワイシャツに、ステテコ姿で登場するのはちょっと恥ずかしかったですが。

 そして2月24日には「大喪の礼」も執り行われました。世界164カ国、27機関の700人に及ぶ要人が参列しました。この日は公休日となり、葬列の沿道では小雨の降る中、およそ20万人の市民が昭和天皇をお見送りしました。

 父は大喪の礼委員会の副委員長として実務を取り仕切り、無事大役を果たすことができました。