秀吉がほかの従属してきた外様大名に対して、こうした親しい対応をした例はない。これは家康が、「妹婿」という格別な関係にあったためかもしれない。

 そして翌27日、家康は大坂城の秀吉への出仕を行い、これによって家康は、秀吉への従属を確定させた。これは、秀吉がついに、旧織田勢力のすべての再統合を果たしたことを意味した。

 同年11月5日、家康は秀吉の参内に従って、初めて参内した。その際に正三位・権中納言に叙任され、このとき秀長も、同じく権中納言に昇任された。これより秀長は「羽柴大和中納言」と称されるようになる。

 権中納言の官職は、武家では、秀吉・織田信雄に次ぐもので、その他の諸大名中では最高位に位置した。

 こうして秀長と家康は並び立つこととなり、そのあり方は、その後、秀長が死去するまで維持されていくことになる。

 同月25日、秀吉は後陽成天皇の即位にあわせて太政大臣に任官され、「関白太政大臣」となった。