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2026年放送のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、主人公として躍動する秀吉の弟、豊臣秀長。秀吉の天下統一は切れ者の秀長なしに成し得なかったとも言われるほどの存在だ。家康とともに豊臣政権を支えた男の出世街道に迫る。※本稿は、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』時代考証の黒田基樹監修『秀長と秀吉 天下を取った豊臣兄弟と野望に生きた戦国武将たち』(宝島社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
名実ともに秀吉の後継者に
ふさわしかった豊臣秀長
秀長が四国から帰陣したのは天正13年(1585)8月22日か23日のこととみられるが、そのとき、秀吉は佐々成政の討伐のため越中に出陣しており、26日に佐々成政を降伏させ、大坂城に出仕させている。
一方、四国平定を果たした秀長は、同年閏8月19日に秀吉から新たに大和を領国として与えられ、同国の郡山城を本拠とすることになった。秀長は、それまでの紀伊・和泉2カ国に加えて、大和を領国としたことで、その領地高は73万4000石にものぼるものとなった。
この領地高は、単独では秀吉配下で最大のものであったが、大和についても紀伊・和泉の場合と同様に秀吉直臣の所領があり、それらについては秀長の支配から外されていた。
同年9月3日、秀長は、秀吉とともに約5000人の軍勢を率いて大和に入部し、郡山城に入った。秀吉は5日に奈良の春日社を参詣したのち、大坂に帰還している。
同年9月末、秀長は、秀吉の天皇居所への参内に供奉するため上洛した。
昇殿(天皇居所に上がること)するには公家の身分が必要で、四位以上の位階か侍従以上の官職が必要であったことから、同年10月に、秀長は参議(宰相)と近衛中将に任官し、従三位に叙せられたようだ。







