これにより、ほぼ九州全域を支配していた島津家は、薩摩・大隅両国と日向諸県郡のみの所領へと削減されることになった。
『秀長と秀吉 天下を取った豊臣兄弟と野望に生きた戦国武将たち』(黒田基樹監修、宝島社新書)
天正15年6月19日、九州平定を終え帰陣する途中に滞在した筥崎(福岡市東区)で、秀吉は伴天連追放令(編集部注/キリスト教宣教師の国外退去と、布教の禁止を命じた法令)を出している。
一説には、博多でポルトガル人が日本人を奴隷として連行する様子を目撃し、激怒したことが発令のきっかけの1つだったとも言われているが、明確な理由はわかっていない。
同年7月22日、豊前・豊後・日向の国割(領地配分)の任務を終えた秀長は、約半年ぶりに郡山城に帰陣した。なお、島津家の従属後も秀長は、島津家への「指南」を務めることになる。
織田信雄や徳川家康をはじめ、毛利、長宗我部、大友、島津など、秀吉へ従属後の外様大名の統制は、こうした秀長の補佐によって保たれていたのである。







