さらに渡辺は主筆となる以前にも、一九七九(昭和五四)年から取締役論説委員長を務めている。当時は主筆が空席だったため、論説委員長時代から数えると四五年という半世紀近くの間、社論を決定する立場だったことになる。
読売新聞の社史においても、渡辺が論説委員長・主筆として「八〇年代から現在に至る社論を確立した」と記述されている(注4)。
渡辺は社論の基本方針について、第一に議会制民主主義を守り、一党独裁的全体主義をめざす勢力とは断固戦うこと、第二に自由主義的市場経済原理を守り、全体主義的な計画経済、統制経済に反対すること、第三に日米安保体制を堅持し、西側の一員としての役割を果たしつつ、ソ連の軍事力膨張政策をおさえることを掲げている(注5)。
渡辺渾身の元日社説は
世論にまで影響を与える
さらに渡辺は社論の方針を決定するのみならず、自身でも社説を執筆した。中でも力を入れたのが、日本の針路や国際情勢を大局的に論じる元日の社説である。
少なくとも一九八〇(昭和五五)年から一九八七(昭和六二)年までの毎年と、一九九〇(平成二)年、一九九四(平成六)年の一〇回の元日社説は、渡辺が自ら綴ったものだとされる。
夏休みから準備を始め、秋に構想を練り、論説委員会や外部有識者の意見も聞きつつ、書き上げていたという(注6)。
渡辺が筆を執る社説のことを「御親筆」と呼ぶ関係者もいる。とりわけ渡辺が一九八四(昭和五九)年に執筆した「平和・自由・人権への現代的課題」と題した元日社説は、日本の果たすべき国際的責任と西側陣営の一員としての立場を強調し、左翼偏向や非同盟中立主義を批判した主張で、社史においても「社論の基礎的立場」と位置づけられている(注7)。
(注4)前掲『読売新聞一二〇年史』四八〇頁。
(注5)前掲『読売新聞一二〇年史』四八二―四八三頁。
(注6)前掲『読売新聞一二〇年史』四八四―四八五頁。
(注7)前掲『読売新聞一二〇年史』四八四頁。







