――政治は取材するだけではなく、自ら関与する対象だったのでしょうか。

「そう思いますね。そうでなければ、あんなに最初から大野伴睦のところに行ったりしない。大野伴睦だけじゃない。彼は若い時は身軽だったから、色々な派閥領袖(りょうしゅう)のところに行って、意思決定のあり方を見てきているわけでしょう。そういうことができるのは自分しかいないと思うわけです。

 しかも彼が最後まで自慢するのは、『書くことはやめない』ということです。『書けなくなった記者は記者じゃない。だから俺が記者である所以は、書いているからだ』と。だから経営者になっても書いているわけです。

 筆政を担うということに最終的にはなりますが、書くことが彼にとっては政治の手入れにつながる。つまり政治の手入れをすることと、政治について書くことは、彼にとってはイコールなんですよ。だから『両方やれるやつは他にいないから、俺がやるんだ』という自負心になる」

「筆政といっても、それぞれの新聞社では順番に筆政を担当する人が出てくるのであって、その人たちは多分、自分一人の意見ではやっていない。論説委員と相談をしたりして、社論の位置も考えながら、妥協しながら決めていく。

 ところが渡辺さんは『筆政というのは独裁だ』とはっきり言っています。そうすると、渡辺さんの意向で読売新聞の社論は決まってしまう。社論ないし筆政が、渡辺さんという人格に象徴されるようになるわけで、そこを僕は『人格化された筆政』と言ったわけです」

――渡辺さんに匹敵する戦後のメディア人は…

「いない、いない。これはもう全くいない。朝日新聞を眺めてみてもいないし、毎日新聞、日経新聞と見てもそういう言論人はいない。定年を超えて、あそこまで頑張っている人は普通いないもの。そういうことができたのは渡辺さんだけですから、他に比較のしようがない。

 ほかの新聞社は、筆政と経営を一緒にやっていませんから。筆政をやると言っても、時間が限られていて、何十年もやる人はいませんからね」