侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論を経ても結論は出ず、二日後に再度集まることになった。そこで郷原は、渡辺の猛烈な勉強ぶりを目の当たりにしたという。現在は渡辺に対して批判的なスタンスを取ることも少なくない郷原だが、その知識の吸収能力には一目置かざるを得なかったという。
「二日後に会議を再開したら、渡辺さんが完全にその問題の専門家になっていたんです。実に明快な論理で『規制すべきではない』と、僕が言いたかったことを全部代弁してくれた。
『どうしてそんなに急に詳しくなったのか』と後で周りの人に聞いたら、『あの後で神田の古書店へ行って関連本を一〇冊買って読んだ』というんです。わずか二日で僕の持っていた知見を超えてしまったわけです。頭の良さもさることながら、刮目すべきはその姿勢ですよね。普通、論説委員長くらいになれば、なんでも知ってるような顔して、もう勉強なんかしないものです。
渡辺さんは、当時から日本の政界の裏情報に関しては右に出る人はいない人だったし、誰もがそれを認めていた。ティーン誌のエッチな表現なんて『どうでもいい』という態度でもおかしくないんです。それ以来、『ナベツネという人は凄い記者だ』と思い、彼が書いたものをあらためて読み直してみると、なるほど、政治記事も同じ。実によく調べて書いている(注8)」
ペンの力を存分に使って
政治に直接介入していった
東京大学名誉教授で政治学者の御厨貴は、オーラルヒストリーの手法で、渡辺の半生と日本政治の関わりを検証してきた。
御厨は、渡辺の個性と社論とが渾然一体となっていった状態を「人格化された筆政」と表現する。そして渡辺の主筆という職制への執心について、次のように分析する。
「やっぱり書くことが『権力』だと思っているのだと思います。朝日新聞などはそういう路線だと思いますが、書くことが『反権力』というのが普通です。しかし渡辺さんにとっては書くことが『権力』なんですよ。書くことによって自分自身の立場をはっきりさせ、それを政治に反映させていく。昔は個人で記事に反映させたものを、今は調査報道を使いながら、政治の側がどう受け取るかを見ているような状況ではないでしょうか」
(注8)郷原宏「元読売の部下が語るナベツネという男」『渡辺恒雄の虚像と実像』宝島社、二〇一二年、六七頁。







