こうした渡辺の強い意向もあり、逆指名制度は一九九三(平成五)年に導入された(その後自由獲得枠や希望入団枠など名前を変え、二〇〇六年を最後に撤廃)。

 逆指名制度により、一球団につき二名まで(大学生と社会人の選手が対象)、選手側から希望球団を指名することが可能となった。

野球協約に隅々まで目を通し
巨人に有利な制度を作り続けた

 そして同年オフには再び渡辺の主導で、「フリーエージェント制度」の導入が決定した。フリーエージェント制度とは、一定の条件を満たしたプロ野球選手が他球団と自由に交渉できることを保障し、移籍の自由を認めたものだ。

 この逆指名制度とフリーエージェント制度の導入により、プロ野球界は自由化の時代に突入していった。同年の日本初のプロサッカーリーグ・Jリーグ開幕によるサッカー人気の高まりに対する危機感もあったとされる。

 渡辺がこうした制度導入に成功した要因として言及したのが、野球協約への理解だった。

「オーナーは野球をよく知らなくてもいいんですよ。オーナーは野球協約の解釈を知っていればいいんです。野球協約の解釈は法律の解釈と同じで、六法全書を読んでいるようなもんです。これを理解できないと、いかに野球のゲームやルールに詳しくてもオーナー会議には出られない。出たって意味がないわけだ。この野球協約をよく理解していたから、僕はドラフト改正、フリーエージェント導入に成功したんだ(注6)」

 野球協約とは、プロ野球を統括するNPB(日本野球機構)が、球界における手続きを定めた規約だ(注7)。

 二〇〇を超える条文で構成され、球団運営についての規則、機構決定の手続き、オーナー会議の役割と権限、球団の新規参入や合併についての取り決め、ドラフト会議や選手との契約や報酬など、球界のあらゆる規定が明記されている。

「日本プロ野球界の憲法」とも呼ばれ、この協約によってプロ野球が運営されていると言っても過言ではない。

 江川事件や逆指名制度、フリーエージェント制度導入を経て、野球協約に知悉していった渡辺は、一九九六(平成八)年に巨人軍オーナーに就任した。渡辺は協約に対する知識と解釈を駆使して、球界全体に絶大な影響力を及ぼしていくに至った。

(注6)渡辺、御厨、伊藤、飯尾前掲『渡辺恒雄回顧録』五〇八頁。

(注7)渡辺恒雄『君命も受けざる所あり』日本経済新聞出版社、二〇〇七年、二五九頁。