やっぱり僕の言うように、〔一リーグで〕どこともぶつかるようにしたほうがプラスだな、という気がしているがね。今でも」

 渡辺が「巨人もパ・リーグと当たるようにする」としていた主張は、球界再編問題を機に具体化していった。両リーグの歩み寄りによって、翌二〇〇五(平成一七)年からセ・パ交流戦が実現した。

渡辺が大切にしていた
「義理と人情」

 一方で山室寛之(編集部注/一九九八年から巨人軍代表を務め、上原浩治や二岡智宏、阿部慎之助などの有力選手を獲得した)は、渡辺が球界再編を進めた理由について、「渡辺悪玉説」とは異なる独自の見方を語った。

「渡辺さんが球界再編を進めたのは、巷間言われているような邪な思惑があってのことではなく、比較的純粋な人助けとしての行為だったのではないかと思います。球界再編が行われたとしても、必ずしも巨人軍にとっての利益になるとは限りません」

 そのことが象徴されていると山室がみる遺墨が、読売新聞本社の主筆室に飾られている。

 渡辺が一九五〇年代の駆け出し記者時代から昵懇の間柄で、自民党副総裁や衆議院議長などを歴任した大野伴睦の書である。そこには墨痕鮮やかに「義理と人情とやせがまん」と豪快な筆致で揮毫(きごう)されている。

 大野は生粋の党人派で、「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」の言葉を残したことでも知られる人物だ(『独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた~』第四章参照)。

 山室はこの掛け軸の言葉のように、渡辺が「義理と人情」の狭間で葛藤していたのではないかと推測する。

 プロ野球草創期から苦楽を共にしてきたセ・リーグへの「義理」とパ・リーグの球団経営を救いたいという「人情」の狭間で葛藤し、「やせがまん」を続けていたのではというのだ。

 山室の見方は、球界再編に汗をかいたのに、スケープゴートとして単純に悪者扱いされたことに対する渡辺の憤りとも符合するようにも思える。