1980年の突然の退任から12年後の1992年10月12日、長嶋は再び巨人のユニフォームに袖を通す。そして、就任早々の初仕事として見事に松井秀喜を引き当てた。その後、愛弟子として松井を手塩にかけて育てた。監督としての功績のひとつである。
長嶋は松井を将来の四番打者に育てるために、3年以内でそれを実現するという「1000日計画」を立て、球場だけでなく自宅の地下室やホテルでも1対1のマンツーマンで徹底的に松井を鍛えた。
そして、構想3年目の1996年、松井はついに四番に定着。打率3割1分4厘、38本塁打、打点99というすばらしい成績を残す。
後年、松井は長嶋の指導について、こう語っている。
「ボールを打たないから、自分自身を意識してできる練習。長嶋さんはバットの空気を切る音でスイングの良しあしを判断される。1スイング、1スイング『いい音だ』、『ダメだ』と言ってくださった。常に“真剣勝負”だった」(「サンケイスポーツ」2025年6月5日付)
1対1の指導システムほど効率の悪いシステムは存在しない。しかし、これほど濃密なシステムも存在しない。長嶋という卓越したリーダーのもとで熱血指導を受けた松井は幸せ者である。
自分の適切な引き際を探し
原辰徳に全てを託した
(原〈辰徳〉監督を誕生させるため)
どうすればいいか、いつも考えていました。
試合の合間にも、監督としてやるべきことを
意識して原さんに伝えたつもりです。
オープン戦は采配も任せていました。
01年も夏場以降は、公式戦でも全部、原さんに託しました。
それでもう大丈夫だと確信しました。
どうすればいいか、いつも考えていました。
試合の合間にも、監督としてやるべきことを
意識して原さんに伝えたつもりです。
オープン戦は采配も任せていました。
01年も夏場以降は、公式戦でも全部、原さんに託しました。
それでもう大丈夫だと確信しました。
(『追悼 長嶋茂雄』)
――原辰徳を自身の後任に決めていた胸中を語った言葉
巨人の監督として最終年となった2001年の前年の2000年は、長嶋にとって忘れられない年となった。
この年、長嶋自身が第2期政権下で最も戦力的に高かったシーズンと評していたように、投打で他球団を撃破して見事に4年ぶりのリーグ優勝を果たすとともに日本一に輝いた。







