
2020年に開催予定だった東京五輪をコロナ禍が直撃した。「中止すべきだ」との意見も確かにあったが、五輪の意義は深く、1年の延期を経て、私は最終的に無観客での開催を決断した。今回はそのときの考えを振り返ろう。(肩書は当時)(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)
東京五輪をコロナ禍が直撃
慎重論根強くも意義は深く
「やめることは一番簡単で楽なことである。困難に挑まなければ、求める成果は得られない」。そうした強い思いで臨んだのが、2021年7月23日に開会式を迎えた東京オリンピック・パラリンピックの開催だった。
本来、開催予定だった20年、新型コロナウイルスの世界的な流行を背景に、東京五輪は3月24日に1年程度の延期を決定した。これは近代の五輪史上、初めての事態でもあった。そこから開催までの1年数カ月余り、世界的な感染の流行という未曽有の重大危機のさなかにあって、感染拡大対策を講じながら五輪を無事に開催するという極めて困難なかじ取りを行うこととなった。
私は東京五輪について安倍晋三首相の下、官房長官として実現に向けて取り組んできた。安倍首相の辞任後、政権を担うことになった私には、安倍政権時代からの切れ目のない感染症対策と同時に、五輪開催という使命も引き継いだとの思いがあった。
難しい判断を迫られる局面は何度となく続いた。21年に入ってからも感染者増加の波が起き、東京都では、ゴールデンウイークの大型連休を目前にした4月25日に3度目の緊急事態宣言を発令。2回にわたる延長を含め、五輪開催ひと月前となる6月20日まで続くことになった。
ただし、日本では感染者数の上下の波はあっても、諸外国に比べて人口規模に対する感染者数がかなり抑えられていたのも事実だ。しかも20年とは違い、21年には国内外でワクチン接種が進みつつあった。また、感染拡大防止策も浸透しており、手洗いやうがい、マスク着用も、すでに習慣化していたのである。
海外に目を向ければ、21年に入ってからは徐々に大きなイベントも開かれるようになっていた。毎日何万人もの新規感染者が出ている中でサッカーの欧州選手権、テニスのウィンブルドン選手権が開催され、マスクを着けていない観客で満員となった競技場の様子が報じられることもあった。各イベントでは観客の入念な事前検査、選手と一般人を隔離する「バブル方式」を採用したことなどにより、その後の感染爆発は起きていなかった。
こうした状況下において、感染者数のレベルが他国よりも一段と少ない日本で、五輪開催を中止するという選択肢はなかったのである。国内世論は確かに割れてはいたし、私自身も近しい人々から「中止すべきだ」との忠告をいただいた。しかし、東京は五輪開催地として国を代表して立候補し、国を挙げて応援し、開催地に選出されたのである。大会を主催する国および都市として、世界の国々に対する責任を果たす必要があった。
また、感染の流行によって国境をまたぐ人の往来が極めて制限された1年を過ごしたからこそ、人類がコロナ禍を克服したことを示す、世界のいま一度の結束を象徴するイベントとしての五輪を開催する意義もあった。