菅 義偉
コロナ対応や「黒い雨訴訟」など多くの難題に対し、首相としてさまざまな決断を下してきた。「全ては、国民のため」――。最終回となる今回は、政治とはどうあるべきなのか、改めて私の信条をお伝えしたいと思う。

2020年に開催予定だった東京五輪をコロナ禍が直撃した。「中止すべきだ」との意見も確かにあったが、五輪の意義は深く、1年の延期を経て、私は最終的に無観客での開催を決断した。今回はそのときの考えを振り返ろう。

コロナ禍が浮き彫りにしたのが、孤独・孤立という社会問題の深刻さだった。一筋縄ではいかない課題に、菅政権では省庁を横断し、官民協力の下で対策を図った。そのときの対応を振り返ろう。(肩書は当時)

新型コロナワクチンの接種体制の確立と並行して、私はワクチン供給の働き掛けのほか、「ワクチン外交」を通じた国際関係の強化を図ってきた。前回に引き続き、菅政権下でのコロナ対策について、今回は外交面から振り返ってみよう。

一刻も早いコロナ禍の終息のため、私は「1日100万回」のワクチン接種を実現すると宣言した。無謀な目標だと周囲は思ったが、私には確かな目算があった。今回は、ワクチン接種のスピード実現の背景を振り返りたい。

福島第一原発の処理水処分は、喫緊の課題にもかかわらず長らく先送りされてきた。地元の反対もあったが、首相として私は海洋放出を強く決断した。当時の対応を振り返ってみよう。

原爆投下の際の雨によって健康被害が生じたとされる、いわゆる「黒い雨訴訟」。原告が勝訴した高裁判決では、上告すべきだという意見もあったが、私は被害者救済のため、上告断念を政治決断した。そのときの判断を振り返ろう。

私が首相として臨んだG7では、対中議題のほかに、東京五輪に向けた各国の支持確約という大きなテーマがあった。その支持をどのようにして取り付けたのか。前回に引き続き、本稿では菅政権での外交を振り返ろう。

総理就任後、コロナ禍のさなかではあるが、バイデン米大統領との会談や対中姿勢を明確にしたG7サミットなど、アジアの安全保障に関わる重要な外交を立て続けに行ってきた。前回に続き、今回も菅政権下での外交について振り返ろう。

外交は総理にとって非常に重要な任務だ。総理就任時はコロナ禍の最中で対面外交に制約もあったが、東南アジア歴訪など、数多くの手を打ってきた。今回は外交での取り組みを振り返ろう。

少子化対策は喫緊の課題だ。菅政権では、不妊治療の保険適用の拡大を実現したが、数々の取り組みの中でも特に感謝の声を頂くことが多い、思い入れ深い政策だ。今回は、その導入経緯を振り返ろう。

デジタル庁の創設は菅政権における目玉政策の一つだ。その背景には、コロナ禍で露呈した日本のデジタル行政の遅れがあった。今回は、デジタル庁創設までの道のりを振り返りたい。

私が総理として掲げたカーボンニュートラルの実現は、喫緊の課題であると同時に長期的な視点に立つ必要のある政策だった。その実行には、関係者の協力が欠かせない。今回は、いかにして環境政策を進めてきたかを振り返りたい。

首相就任後の所信表明演説で、私が初めて取り上げたのが「経済安全保障」だった。近年、半導体などを中心に経済安保への危機感が高まるが、その対応には、まさに行政の縦割り打破の視点が必要だ。今回は、経済安保の取り組みについて述べたい。

2020年夏、長年続いた安倍政権の幕が閉じた。当時、私は自民党総裁選挙への出馬を全く考えていなかったが、事態が一変したこともあり、熟慮の末、立候補を決断した。今回は、私が総裁選出馬に至った経緯を振り返ってみたい。

新型コロナウイルスの感染拡大は、マスク不足や経済活動の停滞などさまざまな混乱をもたらした。その対応には、時に強い政治的決意が必要なこともあった。前回に引き続き、今回もコロナ禍の対応を振り返ってみたい。

新型コロナウイルスの感染拡大は、手探りの対応の連続だった。それでも、前例のない事態に対し政府や関係者が一丸となることで、適切に対処できたと考えている。今回は、初期のコロナ対応について振り返ってみたい。

北朝鮮による拉致問題の解決は、私自身にとって官房長官を務める以前から極めて大きなテーマだった。今でもその思いは変わらない。今回は、これまで私がどのように北朝鮮政策に携わってきたのか振り返ってみたい。

「新NISA」の原型となる制度が導入されたのは、10年前のことだ。結果的に国民の投資マインドは大きく変わり、アベノミクスを象徴する取り組みの一つとなった。今回は、安倍政権下で取り組んだ一連の金融改革を振り返ってみたい。

昨今、あらゆる業界で人手不足が叫ばれている。少子高齢化が今後も進む中で、労働力確保の一つの手段として外国人材を適切に受け入れていくことが重要だ。今回は、官房長官時代に取り組んだ外国人材の施策について振り返ろう。
